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とことん怠け倒している自分を見つめて。

父と兄の住む愛知県に、昨日から子どもたちを連れて遊びに来ている。

「北海道出身じゃなかったっけ。なんで愛知?」がわかる記事やつぶやきを念のため載せておきます。(誰も気にしないか)

2日目の今日も食っちゃ寝の私は、1日で、2kgほど太った気がしている。
お腹はずっとはち切れそうだし、身体がめちゃくちゃ重い。

家事はもちろん、可能な限り、子どもの相手も父や兄に丸投げし、隠れるようにして押入れで昼寝している。笑

少し目を覚ましたとき、父が
「なーんもしないで、さすがに殺意が湧いてくるわアイツに」と兄に冗談を言うのが聞こえたので、再び眠ることにした。朝は「ゆっくりしろや」と言っていたじゃないか。

全ての責任を放棄して押入れで眠る40歳。

そんな人間、この世に私以外にいるんだろうか、と思いながら、実家にいた頃の自分はずっとそんなだったよなぁと思い出す。

とにかく寝ることで現実から逃げているような生活。

しかも押入れで眠るという行為は、隠れる意味合いもあり、ちょっとした家出や逃避を超安全に決行している要素もあったなと今振り返って思う。

友人関係に疲れたら眠って、
考えることに疲れたら眠って、
将来を憂いたら眠って。

何もしないで済むなら何にもしたくない、と思っていた。

朝になっても目が覚めなかった、という状況に憧れるほど、とにかく無気力だった気がする。「覇気がない」と、母親に言われていた記憶もふと蘇る。

その後も、自分の意思で選び取ってきた人生のようでいて、確固たる理由や強い動機がない選択を続けてきた。

そこに思い通りにならない連続の育児が加わったことで、眠っていた願望が噴出したのが約2年前。そこからずっとジタバタしている。ジタバタしてるなりに、見えてきたものもあると思う。

最近は、なんか忙しそうな人だと周りからは見られることもあり、
「無理しないで」「もっと自分を優先して」と言われたりする。

寝てばかりのグータラだった自分が聞いたら驚くだろうな。

でもグータラして、向き合ってこなかったから、今、多少の無理をしてでも、やりたいことがある。自分を優先してるからこそ、疲れる日もある。

自分の中の「こうしたい」「できたらこうしたかった」「本当はできるんじゃないか」を無視せずに、少しずつでも拾って積み上げていけば、きっと何か形になっていくんじゃないかと信じたい。

だけど、「自分に帰る」帰省中の今だけは、とことん怠け倒して、充電したいと思う。

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