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一方的にフォローしている方のフォローは心置きなく解除できるけど。

私は基本「100%フォロバ」はしない主義だ。

とはいえ、自分をフォローしてくれた方のページに遊びに行って、
「むむむ、この方気になる…!」「面白い記事を書く方だなぁ」「価値観に共通点がありそうだ」などと思えば、フォローバックすることもある。
見つけてもらえて嬉しいなぁと噛み締めながら…。
おこがましいのを承知で、この記事においては、この状態を「両想い」と呼ばせていただく。

一方、自分からフォローさせていただくことももちろんある。
この状態を「片想い」と呼んでみる。

そこから「片想い」のお相手が自分をフォローしてくださることもあり、飛び上がってしまう。
この状態を「成就」と呼ばせていただきたい。

そして、自分をフォローしてくださっているけれども、私はその方のフォローはしていない状態を、「感謝」と名付けてみる。

こんな図を土曜の23:30に作る41才は、いまこの世界にきっと私だけ。

出会い方も状態も様々だが、
時間の経過で、自分の価値観も変化していき、
「フォローしたけれど、気づいたらもうあまりこの方の記事を読めていないかも…」とふと気づいたとき、フォローをそのままにするか、どうするかで悩むことがある。

このとき、「片想い」ならば、私はあっさりフォローを外す。
だって、お相手は私に関心がないのだから、何も申し訳なく思う必要はないのだ。

しかし、「両想い」あるいは「成就」の方のフォローを外すのは、心理的に非常に難しい。一度互いの存在を認め合った仲であり、それを外すというのは、私の中ではなんとなく非情のように思えてしまう。特に私の中で難易度の高いのは「成就」の方のフォローを外すことである。

…そんなことを思う人はいないだろうが、
「そっちが好きだって言うから付き合ってあげたのに、何よ!なんで私がフラれたみたいになんなきゃいけないのよ!」と怒鳴りこまれるのではないかという恐怖心が胸をかすめる。その後、その方にフォローを外されても仕方ないと思うのだが、実際に外されたら、
「あぁ、私がフォローしたからフォローしてくれてたんですね…結局ずっと私の片想いだったんだ…スミマセンでした…」と思いそうだ。

逆に「両想い」の方からフォローを外されたときは、
「もしや、フォロバ狙いでしたかね…私がフォローしたから、もう用済みでしたか…」などと思ってしまう夜もある。

フォローしたけれど、気づいたらもうあまり長橋さんの記事を読めていないかも…

ブーメラン1

自分もそう思うことがあるのだから、人からもそう思われてフォローを外されることなんて、当たり前のことなのだ。なのに、フォロバ狙いでしたかね、なんて、まるで現実逃避だ。

さらに、「感謝」の方から、「フォローしたけど、なんか違ったな」と思ってフォローを外されるのは尚更あるあるだ。

だって、長橋さんは私に関心がないのだから、何も申し訳なく思う必要はないのだ。

ブーメラン2

それでも、この胸は少々チクリと痛むのだから、人間とは勝手なものだ。

もう15年以上前、会社で片想いしていた男性に告白したら、
「長橋のこと、よく知らないから、様子見させてほしい」と言われ、一度、デートしたものの、数ヶ月間、なしのつぶてだった。
ある雨の夜、一人暮らしのアパートで泣きながら、想いを吹っ切った。
「あの日の告白は忘れてください」というEメールだけ送って…

その後、あきらめて他の人(現夫)のところへいくと、
男性はふざけながら「もう少し待ってくれたら違ったかもしれないのにな~俺はフラれちゃったんだね」とたぶらかすようなことを言うので爆笑した。
それでも、このときこの男性が、少しでも胸がチクリとしてくれていたらいいな、と私は願った。

なんだって、自分の好きなように、したいようにすればいいのにね。
せっかく楽しいnoteライフにわざわざこんな水を差すような記事を書いて。
もうすぐ梅雨だからって、こんなジメっとした内容を書く私は本当にネクラなやつである。

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