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3・11を越えて

「時計の針を戻せたらいいのに」と、あんなに強く願ったことはなかった。二〇一一年三月十一日。震災発生後、徐々に明らかになる被害の大きさに衝撃を受け、原発事故の影響に恐れながら、何度も冒頭の言葉を自分の中で繰り返した。

私が代表を務めるACEは国際協力を生業とし、災害対応は専門外。それでも「何かを」と、五月から宮城県山元町の災害ボランティアセンターの運営支援に入った。東北の湘南と呼ばれた地域は家ごと根こそぎ津波でさらわれ、多くの人が犠牲となった。現地で一緒に仕事をしたのは、被災し、家族や仲間を亡くした人たちだった。

NPOや企業、社会福祉協議会が立場を超えて協力し、全国から多くのボランティアを受け入れた。その後も交流は続き、一昨年に訪れた町は駅もでき、家も建ち、確実に前進していた。でも、痛みはどれだけ癒やされたのだろうか。

この原稿の結びに迷っていると、携帯電話が鳴った。「十年の区切りなんで、お世話になった方々に電話をね」。声の主は山元町のあの人。「ああ、(亡くなった)あの人の年になったなって感じっす。いろいろあるけど、その分もね、生きていこうかと」。その明るい声が、何もできてない感に勝手にさいなまれ、暗かった私の心と原稿の結末に明かりをともしてくれた。そんな十年を迎えた3・11だった。

NPO「ACE」代表 岩附由香

(2021年3月16日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)

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