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エビフライは食べすぎないように〜岡野さんに初めて会えた日〜

※タイトル思いつかず。絶賛胃もたれ中。
※前半1/3程度は割とどうでもいいことが書かれています。

2024.01.27
岡野祐一郎×松田亘哲サンクストークショー

初めに、今回のトークショーを企画・運営してくださった長尾さん並びに株式会社NGOの皆様、進行を務めてくださった東海ラジオ大澤アナウンサー、出演してくださった岡野さん、松田さん、会場でご一緒してくださった皆様にお礼を言わせてください。
楽しかったです。本当にありがとうございました。

岡野さんのスカウトさんへのご転身、松田さんのCBCテレビご就職が発表されてから初めてのトークショーでした。緊張……

前日は全く眠れず、当日は目覚めた瞬間にぎっくり腰の気配を感じながらおそるおそる着替えをしました。子泣き爺背負ってる気持ち。腰の顔色(?)を伺いながら着替えていましたが、よく考えたら普段からオシャレ服を着ていないので、仁王立ちで土色のパンツと「袖がカビみたい」と言われたナイロンジャケットのチャックを計二箇所閉めるだけで済みます。楽ですね☺︎
それから、仮に目が合っても石化するだけで済むよう、お気に入りのメガネをかけ、マンドレイクの苗木を用意しました。

※このメガネは友人たちに「人生を舐めてる奴しかかけない」「ジョン・レノンよりもジョン・レノン」「お前、パチモンみてえだな」「夏だったら殴ってた」と絶賛された代物です。
※マンドレイクは叫び声がうるさいので賃貸で飼うと怒られます。なんのことか分からんって? ハリーポッターと秘密の部屋を読みなさい。

新幹線では、居眠りして乗り過ごさないよう気を張った結果、上着だけを博多に旅行させてしまうという惨事に見舞われました。私も行ったことないのに。上着のくせに。さらに、這ってでも参加してやる……!! という意志が前面に出過ぎてしまった結果、開場の2時間半前に名古屋に到着してしまいました。
インドアの極みで時間を潰すのがめっぽう苦手な私は、せっかく名古屋まで行ったというのになぜか栄のLOFTへ。東京にも千葉にもあるわ!
そこで曇らないメガネ拭きを購入しました。東京にも千葉にもあるわ!
そして、別の店で真っ赤な薔薇のピアスを購入しました。東京にも千葉にも(略)

そんなこんなで知り合いの方と合流して向かったトークショー会場。道の途中にある全てのお店をくまなくチェックし、緊張で立て篭ってもギリギリ大丈夫そうな店舗を探しました。栗美味しそうでしたね。帰りに買えばよかった。横浜にもあるわ!
その後、立て篭りが出来そうな建物を見付けられず、観念してエレベーターに乗りました。このエレベーターのボタンがね、すっごい分かりづらいの。イラストは可愛かったんですけどね、どれがボタンか見失うの。酔っ払ってたら一生イラストのほう押してた。

さて、どんなに抵抗しても時間は過ぎるもので、長尾さんが現れ、岡野さんが現れ、松田さんが現れ、トークショーが始まって、そして終わっていました。
全体の7割程度は泣いていたと思います。子泣き爺を背負っているので仕方ないですね☺︎
途中お2人のお写真を撮影出来る場面があり(ここは投稿OK部分)私からお2人にギャルピを指定したのですが、進行を務めてくださった大澤アナウンサーがあまりにも丁寧に「ギャルピ」と仰ったのを聞いて、自分でポーズ指定をしておきながら笑いが止まらなくなってしまいました。大澤さんも岡野さんも松田さんも可愛かったです。まぢウチら最高✌🏻💖


と、日記はこのくらいにして、ここからは多少真面目な話を。
色々な方に度々話しているのですが、私にとっての岡野さんは、東日本大震災で友人を亡くし、とにかく落ちるところまで落ちていた自分を這い上がらせてくださった恩人です。友人の死を受け止めきれず前にも後ろにも進めなかった震災2年目の13歳の自分を、選抜のマウンド上から投げたたった1球で目覚めさせてくれた、そんな方です。
その岡野さんに、12年越しに直接お礼を言える機会を頂きました。
あまりに必死ではっきり覚えていませんが、ちゃんとお礼は言えたはずです。自己満だろうが伝わっていなかろうが、しっかり目を見てありがとうございますと言えました。

実は、このトークショー開催が発表される少し前、亡くなった友人のお母様から「今年は3月11日も仕事をしなさい。息子のためだけに休みを取って岩手にも福島にも来なくていい。13年も経つのだから、あなたにとってこの日を普通の日に出来るように」とご連絡を頂戴していました。
私は、震災6年目となる2017年の3月11日から毎年、仕事や大学を休んで、友人が住んでいた地元福島県や発見された岩手県での合同慰霊祭に参加していました。もちろん友人のためだけに参加していたわけではなかったのですが、それでもやっぱり私にとっての『犠牲者の皆様』は、当時12歳だった友人がほぼ全てだったと思います。
いなくなったことを受け入れていないわけではありません。ただ、13年経とうとしている今、今度はそのことが自分の中であまりにも重くなっていました。
友人のお母様は、そんな私の気持ちを分かってくださったのだと思います。元々、お会いするたびに、成人したら… 就職したら… もう来るのをやめなさいと涙を流しながら言ってくださっていました。これから先の私の人生の中で、この日を『友人の命日』ではなく『人生の出来事のひとつ』と思えるように言ってくださったお言葉でした。
そのお気持ちに報いることが出来るよう、前を向いて歩かなければならないと思いました。

そして、そんなことを思っていたちょうどそのころ、今回のトークショーの開催が発表されました。
もしかしたら、岡野さんに直接お礼を伝えることが出来るかもしれない。そうしたら、この機会が、友人のお母様が仰るように前を向く最後の一歩になるかもしれない。そう思えました。
変わる勇気をくださった岡野さん。その岡野さんへの感謝を言葉にすることは、私にとって、変わるために頑張った13歳の自分を認めてあげることと同じでした。その頑張りの過程で、必死に友人のことを忘れようとしたり、岡野さんを見ることが辛くなってしまったり。選択を間違えたかもしれない、後戻りしたいと思うこともたくさんありました。でも、全部乗り越えて今があります。

友人がいなくなったこと、それを受け入れられなかった自分。それらを全て忘れるでもなく置き去りにするでもなく、思い出や経験のひとつとして自分の中に残していけたら。消えないように刻みつけるのではなく、ゆっくり日常の一部に溶かしていけたら。
3月11日をただの365日のうちの一日だと思えるとき、友人をたくさんの犠牲者の中のひとりだと思えるときは、きっと一生来ないでしょう。でもいつか、14時46分に太平洋に向かって手を合わせるこの日のことを、たくさんある特別な日のうちのひとつだと思えたら、そのときは胸を張って、辛い出来事を『克服』出来たと言いたいと思います。

そして、岡野さんのことも。
戦力外、とても辛い知らせでした。
このことを、ご本人、関係者の皆様、岡野さんのファンの皆様、同じように応援している選手が戦力外となってしまった皆様の中にも同じことを思っている方は大勢いらっしゃるだろうという前提を踏まえた上で、あえて私だけの感情として語らせて頂くのであれば、誰よりも岡野さんに野球選手でいて欲しかったのは私なのに、と思いました。叶うのならいつまでもマウンドで腕を振るうお姿を見ていたかったし、タオルやユニフォームを持って球場で応援していたかったです。
でも、岡野さんは、現役を引退しても中日ドラゴンズのスカウトとして中日ドラゴンズに残ってくださいました。葛藤はたくさんあったと思いますが、野球に関わっていくことを選んでくださったことが何よりも嬉しかったです。
だから私は、岡野さんのこれからと岡野さんが残ると決めてくださった中日ドラゴンズを応援していきたいです。
野球選手だった岡野さんを応援出来た日々を心のどこかに留めながら、スカウトになった岡野さんのこともひっそりと応援出来たらと思う次第です。

最後に、日本という災害の多い国に住む皆様、どうかご自分の命を大切にしてください。
精神的な面もそうですが、物理的にもきちんと対策をし、いつ何が起こってもいいようにしましょう。
自然災害は人間の対策や避難を待ってはくれないし、人間の想像を遥かに越えてきます。東日本大震災では、当初6メートルと予想された津波が、予想とのズレ、地形や時間経過の影響で15メートル以上の波となって襲ってきた地域がありました。とにかく、当時被災地でどんなことが起こっていたのかをしっかり理解して対策して頂きたいです。自然の恐ろしさを知るために、震災遺構として被災した建物や物を保存、展示している施設を訪れてみるのも良いかもしれません。

突然人が亡くなるということは、人ひとりが世界からいなくなるだけでは済まないということを、どうか忘れないでください。あなたが亡くなったとき、後悔するのはあなたではありません。ご家族が、ご友人が、災害という形のないものを責め続け悲しみに暮れてしまわないように、何よりもあなた自身を大切にしてください。


ということで、私は今からカニカマとエビフライを食べて酒盛りをしますのでこちらで失礼いたします。名古屋で6尾購入したのですが、新幹線の中で3尾食べたら胃もたれしました。これも歳を重ねるということです。
では皆様、また会いましょうね! あと飲み行こ。酔うと駆け出す癖はありますどね。
じゃあまたねー。Go Dragons!!

追伸、絶対にリンクは教えないけれど、もし偶然このページを発見した仕事兼趣味の友人たちへ。
急に「おれは岡野祐一郎のトークショーへ行くから27日のライブは飛ばす。絶対にだ」と言ってライブを1本飛ばしてすまない。禊は聖杯戦争3回で勘弁頂きたい。

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