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外国から見た日本 ~明治時代に流行した外国人向け土産の“横浜写真”には、ユニークなかたちで日本の日常が記録されていました

日本カメラ博物館古写真研究員の井桜直美さんに、横浜写真についてお話を聞きました。(エース2021年夏号特集「記憶と記録」より)

タイトル写真:京都の川床と舞妓 国際日本文化研究センター所蔵

外国人向け土産の“横浜写真”とは?

ベアトの写真館で働いていた絵師たち

写真に色付けするベアトの弟子たち  日本カメラ博物館所蔵

 横浜写真の全盛期は明治20(1887)年くらいから。1858年日米修好通商条約が結ばれ、外国人たちが横浜や長崎などの開港地にやってきました。写真家のフェリーチェ・ベアトは横浜居留地に写真館をオープンし、日本の風景や風習を撮影した写真を、来日する外国人に販売しました。やがて、それが定着し、大型のアルバムや絵はがきが売られるようになります。表紙に蒔絵が施された大型アルバム1冊の価格は、今の40〜50万円ほどでした。

「ザ・日本」を演出

 写されている風景は、外国人が巡った場所が主です。当時、外国人が行けるのは居留地から馬車で行けるような範囲に限られていました。鶏卵紙の写真に、上から赤や青、緑などで着色しています。写真の登場で浮世絵が衰退していったこともあり、色付けは浮世絵師や、転職して写真師に弟子入りした元絵師がしていました。だから結構上手なんです。また、同じ写真でも、アルバムによって色が全く違ったり、着物の柄が違ったりします。

 日本人の習慣を収めた写真には、お辞儀、腹切りなど、日本ならではの一枚があります。ただ、これらのほとんどはやらせ。例えば、明治20年にもなれば、ちょんまげの人はほとんどいないと思うのですが、写っているのはちょんまげ頭。実はカツラなんです。

 あとは、被写体が着ている半纏に写真館の名前が入っていたり。これは宣伝です。海外にも土産写真はありますが、クスっと笑ってしまうような演出があるのは、日本独特かもしれません。

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飛脚 国際日本文化研究センター所蔵

解説:井桜直美さん( いざくら・なおみ)
日本カメラ博物館古写真研究員。同館内のJCIIフォトサロンにて年2回の古写真展を担当。https://www.jcii-cameramuseum.jp/

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