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神の手・仏の手・信者の手 宗教で見られる手のかたち

仏像のハンドジェスチャーやジャイナ教のマークの意味など、宗教学者の中村圭志先生が教えてくれた、なるほど!と思える話。

 一神教においては、神の手は特別な意味を持ちます。例えば旧約聖書にも「すべての肉なる者の息は御手の内にある」(ヨブ記12章10節)「御手を開くと、彼ら(=被造物)は良いもので満ち足りる」(詩編104編28節)「昼も夜も御手は私(=罪を犯した者)の上に重く」(詩編32編4節)などとあるように、御手すなわち神の手は、権威・権力を持ち、恵みを与え、罰することのできる手です。
 対して多神教では、神々であっても手は手。私たち人間と同じ手です。

記号としての手の形

 仏像をよく見ると、さまざまなポーズをとっています。手のひらを見せていたり、指で輪を作っていたり、指を握っていたり……。これらは「印相(いんぞう)」といいます。釈迦如来の印相は、転法輪(てんぽうりん)印(説法印)、施無畏(せむい)印、与願印、禅定(ぜんじょう)印、降魔(ごうま)印の5つが基本。阿弥陀如来は指で輪をつくるのが原則で、親指とどの指を結ぶか、その手をどこにどのように置くかによって異なるサインを示す。立てた左手の人差し指を右手の拳で握っているのは大日如来。と、このように、各如来や菩薩などの像がそれぞれ記号としての手の形を持っています。そのため、印を見れば、その仏像が何であるかがあらかた分かります。
 逆にいうと、印相がなければ、仏像の多くはほとんど区別がつかなくなってしまうでしょう。皆、同じような服装、同じようなお顔ですからね。

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

ハンドパワーは近代的

 手を介して何らかの力を相手に授ける行為は、古来、多く宗教で見られてきました。ユダヤ教、キリスト教の儀式で伝統的に行われている「按手(あんしゅ)」も、その一つだといえるでしょう。

按手。 ユダヤ教、キリスト教における一つの儀式的な行為で、祝福、癒やし、 叙階、聖霊の授与などのため、頭の上に手が置かれる。旧約聖書、新約聖書にも按手の記述は多い。

 しかし近年、日本の新宗教やキリスト教の新宗派の一部では、いわゆる〝手かざし〟が盛んに行われています。手から放たれる霊的な力によって、奇跡が起こったりするのだそうです。
 見えない力がビームのように手から発せられるという考えは極めて近代的で、電波やX線など、見えない波動が相次いで発見された19世紀以降のものだと思われます。

話:中村圭志さん(なかむら・けいし)
宗教学者、翻訳家。1958年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)。『ビジュアルでわかる はじめての<宗教>入門』『亜宗教――オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』『宗教図像学入門』『聖書、コーラン、仏典』『教養としての宗教入門』『教養として学んでおきたい5大宗教』『教養としての仏教入門』『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』など著書多数。


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