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閑話休題 エースのこと

 エースは、ペットショップで里親募集に出されていたウエスティの雄犬でした。まもなく2歳になる2008年5月、私たちの家族になりました。私はおとなしくて、どこか遠慮がちなエースが大好きでした。一目見た時から亡くなるまでずーっと大好きでした。

 私と夫、大人二人の家にエースがやってきて、私たちはすごく家族になれたように思います。あまりベッタリではない私たちはエースが来るまでは割と独立していました。週末の予定もそれぞれあったりして。
 エースが来て、お互いが好き勝手なことをしているだけだと不都合が出るようになり、予定を合わせて出かけたり、お互いにきちんと予定を共有したりするようになりました。
 エースはいつも私と夫の間にいて、なんだかマイペースに毎日を過ごしていました。エースが教えてくれたことはたくさんあるけれど、中でも「相手のペースを尊重する」という事を学んだように思います。
 痛くて触られたくない所に触れられた時や、びっくりした時などには噛むこともありましたが、噛まれたことも含めていい思い出になってしまいました。噛むこと以外は本当にお利口さんで、飼いやすい犬でした。

 ウエスティという犬種に多いアレルギーはあったものの、それ以外に大きな病気も怪我もせず、エースは元気でした。旅行にもキャンプにもたくさん行って、私たちの思い出にはいつもエースがいます。近所のお散歩があまり好きじゃなくて、食べるのが好きで、寝る時はいつも一緒のエース。
 2020年12月31日、コロナ禍でしたが、年末の買い物に行きました。家から遠くないアウトレットモールまで。いつもはアウトレットモールの中を結構歩いてくれるのに、その日は疲れたようにほとんどドッグカートで過ごしていました。エースも疲れているようだし、と買い物も早々に帰宅。その日の夕方から片方の後脚を痛がって地面につけなくなりました。
 元旦朝一でかかりつけの病院に行き、お薬や注射など様子を診ていただいて、骨折などはなかったのですが、脚を着けないため様子見に。年が明けてお正月気分の中、カドラーの中でいつものように丸くなったり眠ったりしているエースは、ご飯もしっかり食べ、トイレも外に出すと三本足をついてきちんとできていました。
 急変は1月7日。心臓に水が溜まり、かかりつけの病院で水を抜いて。しっかりと生還してくれたエースがとても誇らしく愛おしかったです。ただ、心臓の水を抜いたのに呼吸が荒く、1月8日に家と病院を往復し、その日の夜、自宅に設置した酸素室の中で亡くなりました。深夜1時30分くらいに、酸素室に頭をつけるようにして寝ていた夫と私が見た際は起きて動いていた(夫が手を入れて寝やすい姿勢に直してあげた)のですが、また二人ウトウトして、3時に私が気づいた時にはもう逝ってしまっていました。

 お正月もいつもの通り楽しくゆっくり過ごさせてくれて、みんなの、世間の仕事再開を待つようにして逝ったエース。私たちに介護や闘病の苦労をさせなかったエース。最期まで一人で決めて逝ってしまったエース。どれもエースらしい選択な気がして、愛しくて悲しくて。   
 でもたぶん、この逝き方が私たちにとっては最善だったのかもしれません。エースが決めたのであれば、そうに違いないと思うのです。「ありがとう」。エースには感謝しかありません。生ききってくれた。出会ってくれた。私たちを家族にしてくれた。
 天に昇るエースに持たせた手紙には、短く「幸せな日々をどうもありがとう。愛してるよ。またいつか、会おうね。」と。いつかまた、会えると信じて。

 エースのこと、エースがいたこと。知って欲しくて、書きました。長文駄文にお付き合いいただきありがとうございます。

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