セクを細分化する意味/倫理的オタクのバグ

二本仕立てで、散文的にセクシャリティのことを書いてみようと思います。

■セクシャリティを細分化するのはなぜか?

あるセクシャルマイノリティの当事者の方とお話ししていた時、「どうしてセクシャリティを細かく分類するのかな? 自分は自分でいいじゃない。」と話されていたことがありました。

既存の概念や言葉と隣接しているものの、微妙に違う新語を若い人たちが作ることに対しての言及だったかと思います。

私はそれに対して、
・この世界にまだない概念を誰かに伝えたり自分の中で整理するため

・「自分は自分でいい」と思えるようになるための前準備

というふうに回答したと思います。

つまり、アイデンティティの補強のために新語を作ること自体を目的にしているのではありません。

自分のセクシャリティには(異性愛と違って)言葉が用意されていないから必要にかられて作っている、ということです。

また、このセクシャリティならこういうもんだよね?といった誤解を避けるために、よりフィット感の強い言葉を探るため、などの目的もあるでしょう。

こうした試行錯誤を経て、自分の中で納得できる言葉や、通りやすい説明の仕方ができるようになり、「自分は自分でいい」とだんだん思えるようになるのだと思います。

以下、読み飛ばしていただいても結構ですが、私の場合の具体例を挙げるとこういう感じです。

私の場合、フィクトセクシャルとして、エーゴセクシャルやオートコーリスセクシャルの定義を気にしています。
https://acearobu.com/what-aegosexual/

性的倒錯の用語として作られたオートセクシャルという語は、二次元コンプレックスという語と一種似ているように思います。蔑視の視点から話されることや、クィアな開き直りとして選択されることもある語彙だからです。

その逆にセクシャリティの用語として作られたエーゴセクシャルやフィクトセクシャルという語があります。

フィクトセクシャルの当事者の方は、現実性愛の在り方のまま、相手の次元が異なるだけ、という話をされる方も多く、私は主な性対象が女性キャラである一方で、女性キャラへの恋愛的な関心はないような私は少しばかりフィクトセクシヤルと自称しづらい感じもあります。

なので、AロマンティックAセクシャルのエーゴセクシャルである、と言った方がフィット感はあるが、日本語圏でメジャーではないため語の「含み感」がわからないので、自分のケースでも使ってよい語なのか分からないと感じています。

……というふうに、非当事者の方には「自分は自分でいいじゃんか」と思われそうな話をよく考えています。


■倫理的なオタクのバグ発言にモヤモヤする

ここでいう倫理的なオタクとは、世間一般よりも高い倫理的水準を守り、特に女性キャラクターの表象に問題意識を持つ何かの作品や人物のファンのことです。また、ある意味で、同性愛や両性愛を含む現実性愛主義的な人たちでもあります。

例を挙げると、
現実感覚に従ったBL創作を好む方、
韓流アイドルなどの実在の人物を好む方、
漫画やアニメは好きだがR18創作を好まない方、
LGBTQ+のアライでポリコレの度合いや質を作品の重要な評価ポイントとする方、
女性の性的な表現も好きだが女性表現のゾーニングは不十分であることが多いとする方、
他のファンの女性キャラやアイドルへの推し方を見て潜在的な加害性があると推測される方などです。

これらの人たちは異性愛、両性愛、無性愛、非性愛に対して極めて肯定的です。(トランスに関してはスタンスが分かれるようですが)

これらの人たちは、女性キャラやアイドルに対する推し方に苦言を呈すことが多く、その度に私のような存在は一種の論理的エラーを起こす要因となるため不可視化され続けるのだろうな、という気持ちでいます。 

私の一貫した考え方として、女性キャラクターは実在女性ではないので、女性の描き方それ自体が男性からの女性への悪しき態度を維持する原因となる、とは考えません。女性キャラと実在の女性を関連するものだと捉える認知こそが問題だと思っています。

私は女性キャラが性的に好きですが、アセクシャルです。私のような存在、つまり実在女性と女性キャラの好みが分離されている人が例外であるとは全く思いません。

男性から女性に対して、フィクションのように接する悪しき態度が維持されているのは、女性キャラ≒実在女性とみなす考え方、ひいては現実性愛主義のためだと私は考えます。

女性キャラの描き方にまで気を配る人の考え方こそが、女性や子供を脅かすような現実性愛主義の維持として働いています。

つまりこういう流れです。

不適切な女性キャラの描画は実在の女性の対応の仕方に影響を与えるからNG

前提認識として、女性キャラ≒実在の女性という認識がある。または、前者が後者に影響を与えると思っている

男性側は、女性キャラは実在の女性と近いという認識を持ち続ける

要するに、なぜ200年生きたロリババアのイラストが現実の児童と同じ枠組みと捉えられ規制されなくてはならないのか?ということです。

必要なことはロリキャラをエロい目で見ないことではありません。実在の児童とキャラクターを徹底的に切り分け、実在の児童に関する倫理や適切な態度を学ぶことです。
ロリキャラで抜けなくなることが、児童への適切な態度に影響するかというと、ほぼ関係ないと思います。

ロリキャラのエロを根絶させることは事実上不可能ですが、実在女性と女性キャラを切り分ける認識を持つことはそれほどには難しいことではないと思っています。

ロリババアを性的な目で見たことでハードルが低くなり家の近くを歩いてる小学生が性的に見える、なんてことはないのです。仮にそう決めつける人は、痴漢を受けた女性は痴漢モノAVが好きになってしまうと決めつける人と同レベルに荒唐無稽で恥知らずと言っていいと思います。

キャラクターをキャラクター単独で愛好する人のことを認めなければ、実在女性をキャラクターやAVのような扱いをしてもいいと誤解している、人をモノ扱いする阿呆どもの認知を改めることもできないのだと私は思っています。

ちなみに私の男キャラの推しは、現実には一切関わり合いになりたくない男です。知り合いたくもありません。

そういうこともあると知っているオタクが女性キャラやロリキャラになるとバグった話をしだすのは、さすがに現実性愛主義蔓延りすぎ〜!と常々思っています。

今回は以上です。

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