東京幻影狂騒曲
私は東京に両手で数えるぐらいしか行ったことがない。もともと人混みが苦手なのと出不精がたたって、東京に積極的に足が向くことはなかった。初めて東京の街におり立ったのは中学の時の修学旅行である。私たちの班は渋谷のセンター街で思いっきり道に迷っていた。NHKホールを目指していた私たちは皆一様に大都会東京の凄まじさに圧倒されていたのである。東京の街にでてみてまず驚いたことは、人の多さと彼らの歩くスピードだった。人の多さについてはある程度予測していたが、スピードについては考えたことがなかった。皆何をそんなに急いでいるのかは知らないが、地元の人が歩く速さのおよそ1,5~2倍の速さで歩いている。道をきこうにも速すぎて呼びとめることすらできない。私たちは心が折れかかっていた。その時である。そんな人混みの中で唯一人ゆっくり歩いている人をみたのは。ヤクルト売りのお姉さんである。彼女だけが唯一私たちが呼び止めることに成功した人だった。そのお姉さんは田舎者丸出しの私たちに丁寧に道を教えてくれた。結局決められた時間からは大幅に遅れながらも、私たちは目的地にたどり着くことができた。おかげで私は今でもヤクルトを信奉している。ヤクルトが届けるやさしさはお腹に対してだけではなかったのである。
その旅行中に私たちはもちろんディズニーランドに行った。私にとっては記念すべき2度目のディズニーである。期待に胸ふくらませるもあっさりと裏切られてしまった。あいにく天気はどしゃ降りでパレードは中止、混んでいるのはお土産物屋のみという有り様だったからだ。どしゃ降りのディズニー!これほど悲しいものが他にあるだろうか。さらに濡れる必要があるのだろうかという疑問を抱きながら乗ったスプラッシュマウンテンを私は忘れられない。私たちはへとへとになりながら地元に戻った。
私の母は子供の頃、東京の小平市という街に住んでいた。小平市は東京でもはずれの方に位置する。父親の仕事の都合で住んでいたのだが、その父親が結核にかかり会社をやめざるをえなくなった。そこで一家は親戚を頼って愛知県に引っ越してきたのである。夫婦の間では金銭に関するもめごとが絶えなかったらしい。父親のことがあるまでは、一家は小平市で楽しく暮らしていたようだった。祖母は庭いじりが好きな人で庭先を花でいっぱいにした。休日はパン屋に行くという生活ぶりは、祖父がエリートサラリーマンで一家の暮らしにかなりの余裕があった証だろう。実際母は小さい頃にバレエを習っていたそうである。そんな母が愛知県に越してきて一番感動したことは、下水道の整備についてだったらしい。東京に住んでいた時には水洗トイレではなかったのだ。そして小平市ではホタルをみることができたらしい。東京でみるホタル!これほど乙なものが他にあるだろうか。私は未だにホタルをみたことがない。(調べてみたら小平市では未だに「ホタルの夕べ」なる会が現存するらしい)東京と一口にいっても、色んな地域があるのだなと私は感心した。
そんな私はこの頃妙に東京に対して憧れを持つようになった。周囲に東京出身の方が多くいるからだろうか。やはり東京は日本が誇る最大の都市。何でも揃っている刺激的な街である。小平出身の男性とお話しする機会があった。第一声で「小平は田舎ですよ」と言われる。うん。知ってる、と心の中で頷く私。しかしその田舎が私にとっては重要な意味をもつのだ。私はいつか小平に足を向けたいと密かに願っている。そこでは幼い頃の母がホタルをみているはずだから。
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