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【エッセイ】そっとレモンをおいてくる

 高校生の頃、現国の時間に梶井基次郎という小説家が書いた『檸檬』という作品を習った。この作品を初めて読んだ時、こんなに面白い物語を書ける人がいるのかと感動したものである。主人公である「私」の心は、「えたいの知れない不吉な塊」に終始圧えつけられていた。元気だった頃の「私」は丸善で色々な商品をみることが好きだったのだが、この頃はどうにも足が遠のいている。好きな事といえば、みすぼらしい裏通りを眺めたり、おはじきをなめることぐらいであった。そのように欝屈としている「私」は、偶然通りかかった果物屋で色鮮やかなレモンを買い、それを懐に忍ばせる。すると何だか心が晴れ、いつもは金がなく避けていた丸善に入り画集などを手にとってみるがどうにもつまらない。そこでこの主人公は奇妙な行動をとるのである。画集を積み上げ城を作ると、その頂にレモンをのせて店を後にするのである。あのレモンが実は爆弾で、10分後には爆発すれば面白いのにと考えながら。

 すべては「私」の妄想のような話ではあるが、本の上に置かれたレモンを発見した人間の心情を思うと私は楽しくて仕方がない。まずは驚くだろう。この驚きという感情こそが、人の心に波風を立てたという事実こそが、爆弾の役割を果たしているといえるのではないだろうか。そしてこの短編小説を一読した時に感じた不思議な爽やかさについて思う。始まりは確かに影を背負った「私」が登場するのだが、想像力の勝利といえば良いのだろうか。鮮やかな逆転劇によって物語はその幕を閉じるのである。私にとっては最高にクールな小説である。

 私はある事情から、人様の家に2ヶ月間ほどお世話になったことがあった。そこの家の奥様が私は少し苦手だった。ボロボロの私をみて、はっきりと拒絶の態度をとられてしまったからである。気持ちは分かるが、もう少しオブラートに包んで表現して欲しいと私は思った。それほどまでに私はひどい状態だったのである。そんな中で私は以前本でみた、きのことレモンのパスタが食べたいと思い立ち、スーパーに行って材料を買ってきた。結局作る前にその家から別の場所に移ってしまったので、その家の冷蔵庫にはきのことレモンが置き去りにされることになったのだが。私は思った。初めて実際にレモン爆弾を仕掛けてしまったな、と。私は何だか楽しい気持ちになって、今頃あの奥様がぽってりとしたレモンを前に途方に暮れているといいなと思った。

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