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空に手を伸ばして

 私が理解者も得られぬままさまよっていた頃の話である。その日私は気晴らしに友人の家に出かけた。お昼をご馳走になり、何か時間を潰せるものはないだろうかと辺りを探していた時に、私は本棚に「それ」をみつけたのである。『ドラゴンボール』全巻を。私は何の気もなしにそれらの本を手にとった。そうしたらページをめくる手が止まらなくなり、次の巻へ巻へと読み進めるうちに42巻全巻を読み終えてしまったのである。何だろう。この面白さは。私が『ドラゴンボール』を真剣に読んだのはこの時が初めてだった。まず圧倒的に絵が上手い。(私はいくら話が良い作品でも、絵が気に入らない作品はあまり好きになれないのだ。漫画はやはり絵である)人物も動物もメカも優しい丸っこい絵柄で、眺めているだけで満ち足りた気分になれた。ストーリーは最初の頃は西遊記をベースにした中華ファンタジーといった味付けで、その後は主人公の孫悟空がひたすら強さを求めていくバトルものに変化していく。好みがわかれそうなところだが私は両方好きである。『ドラゴンボール』の何がいいかというと、やはり主人公孫悟空のあっけらかんとした性格だろう。強敵が現れても、結婚という人生の局面においても彼はいつも自分のペースを乱さない。何ものにもとらわれないその自由さは誰もがたどり着けない境地だからこそ、いっそ輝きを増す。私にとって孫悟空は理想のヒーローそのものである。

 私は『ドラゴンボール』という作品を前にすると、その作者である鳥山明先生に思いを馳せる。先生ってすごく性格のいい人なのだろうな、と。まずは心が相当に清らかでないと、あのような伸びやかな絵は描けないのではないだろうか。そして先生の作品からは物書きが背負う影のような部分があまり感じられないのである。キャラクターは皆可愛らしい面を持っていて、ストーリーは単純明快である。(悪役は出てくるが、その多くが改心する)面白さの解説をすることほど野暮なことはないと教えてくれた作品、それが私にとっての『ドラゴンボール』である。私の好きなキャラクターはもちろん孫悟空なのだが、もう一人好きなキャラクターがいる。物語の終盤に登場するミスター・サタンである。サタンはいわゆるかませ役として登場する小市民的なキャラクターなのだが、最後はその機転でもって地球を救う役割を果たすのである。孫悟空とは対極をなすようなキャラクターではあるが、そのとぼけっぷりや心根の優しさは作品の初期の頃を思い出させるようで私はとても好きだ。事実鳥山先生のお気に入りのキャラクターだったそうである。サタンのお陰で先生の連載に対するモチベーションは保たれていたのではないかとさえ思う。(急にメタな発言だ)

 私はその頃知人に誘われて、ある体操教室に通っていた。そこの先生が最初にとったポーズが、孫悟空の必殺技「元気玉」のかまえにそっくりだったので、私はその体操を密かに「元気玉体操」と呼ぶことにした。やり方はこうだ。まずはしっかりと大地に仁王立ちになる。そして天に届けとばかりに空に向かって手を伸ばす。そこで思い切り空気を吸い、手をおろすのと同時に息を吐くのである。どこでも(できればよい「気」に溢れているところがいいと思う)できるので私は悪い考えにとらわれると、一人密かに「元気玉体操」に取り組んでいた。物語の中でもこの「元気玉」によって最終的に地球は救われるのである。「元気玉」恐るべし。お金も場所もいらないので、孫悟空のセリフを頭に描きながらやってみることをお勧めする。

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