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陣痛が始まり、強烈な便意をもよおしたわたしは・・・

娘が12歳になった。

いわゆる思春期の入り口で、反抗期とも言われる年齢だ。娘との関係性には悩みがないと言えば嘘になるけれど、わたしは”娘の反抗期”に悩んでいる訳ではない。「反抗期」という表現は彼女には合わない。とにかく生まれた時から今まで、エネルギー値の強い子だ。おそらくこれからもそうだろう。親子という関係性である以上、この生命力に振り回されることはわたしの宿命でもあると感じている。

家族は生活を共にし、距離が近い。特に子どもは”自分から”生まれた、つまり、”自分が”生んだということもあり、自分の所有物のように思っている節がなくもない。自分のものであれば、思い通りにしたいと思ってしまうのが弱い人間=わたしだし、「子どもの将来を思って」することは、期待でありコントロールであり、その人の人生での大切な経験を奪うことでもある。

そんな中でわたしが心がけていることは、
とにかく話を聞く、対話をする、そして本人のやりたいことを優先して応援することである。

これらは人間としてのリスペクトをもって、大切な一個人として接することに他ならない。大事なわたしの友人や仲間と接するように。

そのうえで、親という役割をプラスするなら、次の3点だろうか。
・衣食住を守る。(安全)
・居心地のよい家庭を作る。(居場所)
・人間としてダメなことはダメ、人間としてよいところはよいと言う。(価値づけ)

ゲームをし続けるとか、勉強しないとか、 グミを食べ続けるとか、あれ買えこれ買えしか言わないとか、おなかをポリポリかきながら鼻ほじってるとか(←女子です)、そういうのは、もうどうでもいいのだ。

娘は約束の22時には寝室に行くし(何をしてるかはしらないけれど)、学校に行く意思はあり自分で起きてくる。遅刻はしたくない。宿題も忘れたくないから、夜遅くなろうが宿題はやっているようだ。真面目なことに、音読もする。(わたしはやったことにしてた派・・・)友達から慕われている。いじわるなことはしないし、されてもスルーだし、男っぽいところがあってシンプルでフェアだからか、男女とも友達が多い。男の子からも慕われている。女の子からも誘われる。誕生日の今日、複数人の友達がこっそりランドセルにプレゼントを忍ばせ、娘に渡してくれた。「自分は人気者だから」って、さらっと言ってのける。そのくせにインドア派。恥ずかしがり屋で近所の人にはあいさつできない。コンビニに一人で行けない。

この4月、新年度が始まり、クラス替えがあった。クラスに乱暴な言葉づかいで授業中に騒ぎ立て、先生やクラスメートを委縮させる子がいる。娘は授業中、その子に「うるさいから静かにしろ」と言える。先生が三者面談の時「あの子のこと、仕返しされたらどうしようとか思ったりしないの?こわくないの?」と聞いてきた。娘は涼しい顔で、「平気、怖くない。」と言った。帰りの道すがら、その理由を尋ねたら、「だってあいつ、ほんとうは弱いんだよ。だから怖くないよ。」って。人を見かけだけで判断してなくて、本質を見れているんだなと思った。

毎年くる娘の誕生日に、娘が生まれてきた日のことを話すと、すごく嬉しそうに笑う。

娘は自分で「よし!行くぞ!」と決めて生まれてきたようなのだ。陣痛が始まり、一緒に病院まで来てくれていた母と夫が「今から生まれるまで9時間くらいかかるか・・・」と話している時、わたしは強烈な便意を感じた。助産師さんに、「すみません、もう一度トイレに・・・」と言うと、助産師さんが「ちょっと待って!ちょっと見せて!」と確認し、「トイレじゃない!もう分娩台に上がって!」と私を分娩台に押し上げた。そこからスコーンと生まれてきた娘。便意をもよおして、てっきり”アレ”が出てくると思ったのだけど、”アレ”じゃなくて”コレ”だったのね・・・。

わたしの股の間から生まれてきた直後、この世界の光を浴びてまぶしいはずなのに、無理やり自ら目をこじ開け、見開き、わたしを見た。「こいつか。こいつの腹の中にいたんか。」という確認のようだった。わたしは「赤ちゃん可愛い!」というより、「げっ、こわ・・・」と思った。娘には申し訳ないけれど、エイリアンみたいだと思ったのだ。そしてカンガルーケアをさせてもらったら嘘のような力強さで乳首を吸いまくり、助産師さんが動かそうとしても舌を絡めて離さない。無理やり取り上げられると割れんばかりの大声で泣き叫び、体重計に載せられても暴れまくって体重が測れなかった。

新生児室ではいつも一人で元気よく泣いており、同室の3人の新生児たち(全員男の子)は、いつも迷惑そうに眉間にしわを寄せて眠っていた。

わたしの母乳がなかなか出なくて娘は体重が減り始めた。それでも、決して哺乳瓶からミルクを飲まなかった。哺乳瓶の乳首を舌を使って上手に吐き出すのだ。母乳が足らず、小さな体になりながらも、決してミルクを飲まない娘。わたしは意を決して助産院を訪れ、痛い痛い母乳マッサージを受け、ようやく母乳が出るようになった。

寝返りを打ち、ハイハイができるようになってからも、夜中に母乳を目指してハイハイしてくる。ペタッ、ペタッ・・・と近づいてくる姿は、まるでコモドドラゴンのようだった。上でも横でも、どんな体制でもすごい吸いつきで、とにかく生命力のカタマリだった。

そんなエピソードを話すと、娘はとても嬉しそうな顔をする。げらげら笑って、自分を誇らしく思っているようでもある。彼女の自信になっているんだと思う。「わたしは自分でちゃんと決めて強いエネルギーをもって生まれてきた」と、自分を信じているんだと思う。

日々の生活ではあれこれ思うこともあるが、客観的に一人の人間、例えば、わたしの仲間だと思ってみると、娘ってなかなか面白いし、気持ちよいくらい潔いし、まあまあ全うじゃないか。

娘の誕生日に娘を俯瞰してみた。
そして安心感に包まれたわたしなのだ。
生まれてきてくれてありがとう。


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