夫の乗った飛行機が・・・
8月某日、夫が海外出張から戻ってきた。
実は出国前、ちょっとしたハプニングがあった。あれだけ海外出張に慣れている夫が、今までやったこともない凡ミスをしてしまったのだ。それに気づいたのが搭乗前日。予定していたフライトを変更せざるを得なくなった。
「ありえない。こんなこと、今まで一度もなかった。一体どうなっているんだ。」
そう言ってガックリとうなだれる夫の隣で、わたしは直感した。
「この飛行機は夫が乗ってはいけない便だったんだ」
ーーー あぁ、ありがとうございます、、、
わたしは天を仰ぎ、ご先祖様だか神さまだかわからないなにかに感謝したのだった。
ところが夫はといえば、まるで逆だった。自分にはありえないミスをしてしまうことが、変更後のフライトあるいは出張先で命に関わる重大な何かを引き起こすのではと思ったようだ。
夫は息子を呼びつけて静かに語っていた。
「パパはいつ死んでもなんの悔いもない毎日を過ごしているからな。お前たちのことを心から大事に思って、いつもそう思って生きてきた。仮に戻ってこなかったとしても、"お父さんがかわいそう"だなんて思わないでくれよ。パパは毎日が最高に幸せなんだから。あぁ、パパの人生よかったんだね、そう思ってほしい。」
それを聞いた息子は凍りついていた。(ついでにわたしも凍りついた。)
そして、フライト当日は深夜便に変更になったため、一緒に過ごす時間が夕方までできた。市役所やら買い物やら、こまごまとした雑用もあったので、家族全員で出かけた。夫はひとつひとつの事を噛み締めるように過ごしていた。遅い昼食を一緒にとったが、夫は「最後の晩餐だとしたら。。。」などとブツブツ言いながら慎重に選んでいた。
わたしは今回のフライトの変更は、方変えとか、見えないところでの何かの調整で、そうなる必要があったんだと直感したのだが、それを逆に捉えた夫のせいで(おかげで⁈)
「もしかしたら今日が家族で過ごす最後の日かも」
という、フルフルするような気持ちを存分に味わうことになった。
この感覚がある程度のリアル感を持ち始めると、何というか、あらゆることに感謝しかわかなくなるのだ。
反抗的な態度の娘もしゃべっているだけで可愛いし、ボーっとしている息子だって生きているだけで丸儲け。わたしだってこうして今、息をしている。手を伸ばせばいつでも触れることができる距離に夫がいる。
当たり前のように家族の間を流れている時間が当たり前ではなく、これこそが奇跡の連続なんだと、なんだかジーンときたのだ。
あぁ、わたしはどれほど恵まれた日々を今まで送ってきたのだろうか。
深く大きな気づきであった。
この感覚を忘れないでいたい。
娘がカチンとくることを言っても、息子がわたしの話を聞いていなくても、夫もわたしの話を聞いていなくても、(話が長いせいか、聞いてもらっていないこと多め)もう、そんな些末なこと、どうだっていいじゃないか。
家族の衣類を洗濯して干してたためる幸せ。
みんなのごはんを作れる幸せ。
みんなが食べた後の食器に感謝しながら洗って拭いてきれい仕舞う幸せ。
みんなが散らかしたものを片付けて部屋を整える幸せ。
玄関を掃き、床を磨く幸せ。
家族がいてくれるからこその数えきれない幸せに囲まれていることに"有り難さ"をしみじみと感じたのだった。
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