見出し画像

バカにされたくなくて気を張ってきたのかな

周りを以上に気にしてしまうことは、私の生きづらさの理由の一つでした。

(最終的に愚痴ばかりになっています。)

小学生の頃の記憶


小学校の時、逆上がりができませんでした。それを公園で練習することが恥ずかしくてできなかったことを覚えています。他のみんなよりできる様になるのが遅かったのかな。

最初なんてできなくて当たり前なのに、なんであんなに恥ずかしかったんだろう。プライドが高すぎるのかな?できて当たり前と思っていたんだろうか?バカにされたくなかったのかな?バカにされたんだろうか?

いじめられたり、女の子からバカにされた記憶は多分ありません。ただ男の子からはからかわれた記憶があります。

顔にほくろがあったので「ほくろババア」とからかわれた。焼き芋を買っているところを見られからかわれた。履いている靴をからかわれた。それらの記憶は悔しさと恥ずかしさで体がギュッとなる出来事でした。

焼き芋は買いに行かなくなったし、その靴も履かなくなりました。ただほくろは子供にはどうしようもなかった。それが一番最初の記憶で、一番嫌な出来事だったのかもしれません。それでバカにされないように、気を張って生きてきたのかもしれません。

その時はグッと我慢することしかできなかったけど、泣いたり怒ったりしていたら何か違っていたんだろうか。


母親の恥

もう一つ大きいのは、やっぱり母親の言葉でしょうか。

母親は、「そんなの無理よ」という人でやる気を削ぐ天才でした。
「そんなんでできるの?やめなさい」と心をくじき、
できなければ「ほらやっぱり無理じゃない」と言い、
バカにされたようで悔しくて、でも反発する力もありませんでした。

そのくせ、もっとこうじゃないとダメだ、もっとこうしろと言ってきて、私のハードルはどんどん上がっていきました。


子供の頃、ピアノを習っていました。毎日練習しろと言われ、練習でも、先生の所でも(親がついてきていた)発表会でも、あそこを間違ったこれができなかったと言われていました。イライラしてピアノを蹴飛ばすこともありました。

その時の気持ちはあまり覚えていないけど、もしかしたらこれは相当ストレスだったかもしれません。ピアノ自体は好きだったから、できないのは悔しかったし自分がダメなんだと思っていたけど、もしかしたら母親の言葉もじわじわと効き、何かの呪いにかかっていたかもしれません。

一箇所でも間違えれば失敗、できないのは私の練習が足りないから、私がダメだから、完璧以外は恥ずかしい。元々そんな気質もあったのだろうし、ますます強化もされたんでしょう。

私はそんなに恥じるほどダメだったんだろうか?私は外の人からは褒められることもありました、母親はそれを全力で否定していたけど。

そういう母親はできない人でした。

できなくて恥ずかしいは母親の気持ちなんじゃないだろうか。母親が、自分の恥ずかしい気持ちを子供で解消しようとしていたんじゃないだろうか。そして私が褒められれば自分が褒められた気になって全力で否定して。

いやーそれを見ていた私の気持ちも考えてくれよと思いますが。
それとも、ちょっと嬉しそうに否定する母親を見て、喜んでいるならいいやと思って自分の悲しさ悔しさは引っ込めたのかな。辛いな。

***

人から何か言われないようにしなくては、完璧にやらなくてはと思い過ぎてしまうのは、そんな事の影響もあるかもしれません。

できなくても大丈夫だし、からかう人がいたら怒ったっていい。平気そうになんかしなくていい、平気じゃないって言ってもいい。

きっとあの頃の私は怒りたかった、泣きたかった、悔しかった、


「焼き芋買って何が悪いんじゃい!」と言いたかった。
ほくろをからかわれたら、「うっせーわ!」と言いたかった。
母親には「お前はできんのか!」と言いたかった。

あれこれ言ってくるやつには皆んな

うっせーよ!!


と言いたかった。

あーー愚痴ばかりになってしまいました。
失礼いたしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?