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何かのせいにして逃げてきた

大体何かのせいにして生きてきました。

親が悪い、学校が悪い、社会の仕組みが悪い、などなど。

ありとあらゆる理由をつけて自分は悪くない、被害者だからしょうがないんだと言い訳してきました。かなり本気に、自分は可哀想、運が悪いとか思っていました。

いったい誰に対してアピールしていたんだろう、親?自意識過剰に世間?自分?


そこから動けなくなる


私の場合、何かのせいにするのは、危険な麻薬みたいなものでした。

自分は被害者でいられるので、何にもしなくても責められません。なんなら誰かを悪者にして責めることもでき、気持ち良くなることができます。手っ取り早く、差し当たって自分は楽になれます。そうやって自分を守ってるつもりになっていたんでしょう。


だけど実は、そこから動けなくなるという副作用があることには気づいていませんでした。自分のことではわからなかったけど、夫を見ていてそう思いました。


例えば、夫に「ダイエットするなら動いたほうがいいんじゃない?」と言ったら
「腰が悪いから動けない」と言われ、じゃあしょうがないか、となって。

コロナにかかって体が弱ったから、「歩いたりする?」って言ったら、「肺がやられてれるから」と言われ、じゃあしょうがないか、となったり。

何かのせいにした時点で、免罪符というか、印籠出されたみたいな

それじゃあ、何にもできませんね、ゆっくりしていてくだせー」みたいに何も言えなくなっていました。


だって自分ではない何かのせいなんだから、自分じゃどうしようもできないって、思考がそこで止まっちゃう。

私もぜーーんぶ止めて来ちゃいました。


〇〇のせいのその先


そうじゃなくて「これは残念だったけど、最終的にこうすることを選んだのは自分だよな」って思ったら、何かまだできることはないだろうかと考え始めたかもしれない。

どうしようもないこともあるだろうけど、「〇〇のせい」。終了。としないで、その先へ。

じゃあ、どうするか

その先を考えるには、これは自分が起こしたこと、自分が選んだこと、自分が受け入れたことと一回自分の手に戻す。

どうしようもなかったことだとしても、一回腹を括って受け止め、自分を通し、今できることを見つけていくことかな、って思いました。




何かのせいにする癖がついていると、悪者探しをしてしまう怖さもあると思いました。

その状況を自分の責任にしないために、悪者を作ろうとしてしまうのではないかと。



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