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毒親と使う時の言い訳を長々

私の親は、暴力やネグレクトなど明らかな虐待をしていたわけではなく、あの頃には一般的な親だったのかもしれません。とても辛い体験をされている方のお話を聞くと、私程度で毒親と言って良いのだろうかと申し訳ない気持ちも湧いてきます。特に私はHSPで過敏に反応しているという側面もあるからです。

それでも、私にとって毒ならば毒親でいいじゃないか。そう思わせてくれるきっかけになったのが写真家の幡野広志さんです。

彼の、重しとなっている家族への歯に絹着せぬ言葉は、私が親に嫌悪感を持つことへの罪悪感を和らげてくれました。身近な人が善意や冗談のつもりで心を踏みにじることについても触れており、それは、善意、正義、優しさという形をした言葉に対する私のモヤモヤを「あってもいいもの」にしてくれました。



彼の「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」という本には、NASAの考える家族の定義が書いてありました。

NASAでは、サポートする宇宙飛行士の家族を、手厚いサポートを受ける「直系家族」と、その他の「拡大家族」に分けるそうです。
そして「直系家族」に含まれるのは、①配偶者、②子ども、③子どもの配偶者までで、そこに親や兄弟は含まれないというのです。

家族とは「親子」の単位ではじまるものではなく、「夫婦」の単位からはじまるものなのだ。同性婚を含め、自分で選んだパートナーこそが、ファミリーの最小単位なのだ。

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」幡野広志著

そして家族を選ぶ事ができる、としているのです。

親にとっては子どもである私は直系家族なので、大事に思ってくれて構いません。しかし私にとっては、夫や子どもを第一に考えていいとNASAでは捉えているという事でしょう。

この考えは「親は大事にするもの」という日本では受け入れられないかもしれません。でも親と距離を置きたい私にとっては、とてもしっくりくる考え方でした。

自分の感じるモヤモヤや違和感、そんな事を思うのは親不孝ものだという空気。
それがだんだん、私がそう感じたのならそれを大事にしてあげてもいいとおもうようになってきました。

ましてやここnoteでは、自分の感じた事、飲み込んできた気持ちを正直に書き出して、自分をもっと知りたいという思いがあります。なので、私にとっては毒だったという思いで「毒親」という言葉も使いたいと思います。

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長々と言い訳してしまうのもワタシなんだなあ

結局、私が感じた事は私だけのものなんだから
あってるもあってないもないし、正しいも正しくないもない。
幡野さんがなんと言おうがNASAがなんと言おうが
感じたままに書けばいいじゃん、ってことかな

それが時々怖くなってこんなものを書いてしまうのだけど

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「自分が感じた事をかく」

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