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魂を癒すハイヤーセルフとの旅(11)  ~英霊の言霊~

セラピスト:よし子さん

トランス状態になった私は、何か懐かしい雰囲気を感じた。
晴れた日の昼下がり、心地よい気候と静かな景観が脳裏に浮かび、    私は安心感に包まれていた。

(よし子):あなたは今どこにいますか?何をしていますか?
(りんたろう):これから家に帰るところです。今、家の前に着きました。そう大きくはない木造平屋だけど、掃除が行き届いていて清潔な感じです。家の中はすべて几帳面に整えられています。僕はまだ子供で、8歳くらいかな?そばに妹がいます。妹はまだ5歳ぐらいだろうか・・。

ほどなく、この少年は、勲(いさお)という男の子であることがわかった。
時は大正から昭和に変わったばかり。父は陸軍将校で、質実剛健はさることながら、それ以外に、この家は代々「人から信頼される人間たれ」を家訓としてきた。その精神が脈々と根付いているようだった。
母は気丈で、しつけには厳しいが愛情があった。いつも安心できる言葉を勲にくれた。そんな両親に育てられ、勲は小さいころから、優しさと実直さがにじみ出るような少年だった。

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勲は、大人になったら、父のように人から信頼される人間になり、両親の期待を裏切るまいと思っていた。
私はうつろな意識の中で、関心な子だ・・と思いながら、これも私の過去世の1つなのかと思い、潜在意識が赴くまま、やがて勲と一体化していった。

よし子さんは時間を先に進めた。勲は海軍に入隊し、航空部隊のパイロットになっていた。海軍に入隊してからの勲は、上官に重用され、何事にも中心的且つ重要な任務を任されていた。父の存在もあったかもしれないが、それ以上に、勲の人間性は誰からも信頼を勝ち取っていた。

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そんな勲に運命の日は訪れた。
時は第二次世界大戦最中。日本と米国が南太平洋でしのぎを削っていた、 昭和18年4月18日。その日は、連合艦隊司令長官・山本五十六が、ラバウル島基地から南方視察に飛び立つ日だった。
23歳になっていた勲は、山本長官が搭乗する一式陸上攻撃機の操縦室の中にいた。今や勲は、国民的英雄ともいわれる山本長官が乗る視察機の操縦桿を任されるまでになっていた。

(よし子):勲さん。すごいね。もう大役を務めているんだ。
(いさお):はい。私は、私を信頼してくれた人たちに感謝しています。   期待は決して裏切りません。

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午前6時。山本長官機とその護衛編隊は、定刻通りにラバウル飛行場を飛び立った。ブーケンビル島を経て、ショートランド島近くの最前線基地であるバラレ島基地を視察する予定だった。
しかし、この情報は事前に米軍に傍受されていた。  

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(よし子):勲さん。どうしたの? 何があったの?
(いさお):・・。敵編隊が待ち構えている。情報が傍受されていたんだ。
(よし子):勲さん!大丈夫ですか?
(いさお):切り抜けて見せる!絶対に! 

これが勲の真骨頂だった。状況を正面から受け止め、なすべきことをなす。一切の迷いや私心はない。そして多くの場合、ことを成し遂げ、信頼を勝ち取ってきた。今までは。。だが今回は、相手はまるでシャチの群れのようにどう猛で、火力の差は歴然だった。


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その間、よし子さんの質問が何度もあった。しかし勲は答えられない。
そのうち、勲の顔が苦渋に歪んだ。しばらくして、悔し涙が溢れ、絞り出すようにして語った。

(いさお):くっ・・。守れそうに・・ない・・。でも最後まで戦う。

それは、極限状態に追い込まれた勲の言霊(ことだま)だった。
自分の為ではなく、長官を守る為、この任務を託してくれた人の為に。。 だが、無情にも次の瞬間は訪れた。


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炎に包まれる機体。修羅場となった操縦室の中で、勲は必死に操縦桿を握り続けていた。意識のある限り勲は、まだ飛び続けることだけに全力を傾け、死を覚悟する一瞬すら己に与えなかった。

何分経ったかわからない。だが、やがて勲はうなだれ、静かになった。
その間、よし子さんは何度か質問していた。

(よし子):勲さん!大丈夫ですか?今どういう状態ですか?
(いさお):・・・。撃墜されました。私は死んだようです。

よし子さんは、前世誘導の経験は豊富だったが、こうした状況に合ったのは珍しかったようだ。動揺した雰囲気が私にも伝わってきた。       だが、私には脱力感しかなかった。丸焦げの機体と幾つかの遺体が見えた。     全て終わったように感じた。


しばらくして、よし子さんは、私を死者が行くべき所=中間世へと誘った。
私は静かに頷き、ゆっくりと上がっていった。どんどん上がって行き、気がつくと、温かい光に包まれた、想念だけの空間にいた。         そこには、祖父、祖母など(私は顔を覚えているはずはなかったが、すぐにそうだとわかった)がいて、私を出迎えてくれていた。
彼らは私を固く抱擁し、よくやった、よくやった・・と慰めてくれた。    すると、先ほどの極限状態を経験した私の心から、苦しみや悲しみ といったマイナスの感情が癒され、どんどん小さくなり、やがて消えた。

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そこで私は、ハイヤーセルフ(高次元の自己)の声を聞いた。

心配しなくていい。勲はとうに死の覚悟をしていた。だからこそ一日一日を大切にし、全力で生きることができたのだ。最後は、極限にまで魂レベルを上げ、そこで死んでいった。英霊と言われる所以だ。
戦争は愚かな行為だが、そこから大切なことを学ぶことができる。

今の日本を見てみよう。戦争こそないが、平和に浸り切って、何が大切かや頑張りどころを見失った人間が多い。必死になることと言えば、ただ死を 遠ざけることだけ、という人もいる。
長い人生を送り、老いて何もできなくなった時はじめて、「ああ、あの時にもっと頑張っておけば良かった」と後悔するのは、まるで皮肉のようだね。でも、そういう人がどれだけ多いことか。

遅すぎた・・と嘆く必要はない。長く、時間をかけて学ぶのでもいい。   後悔があるなら、その後悔を後人に伝えるだけでも意味はある。     君たちには何でも選ぶ自由がある。(おわり)


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