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両利きになりたい

右手の親指に絆創膏を貼っていてコンタクトが取れなかったので、
左手でコンタクトを取ろうとして、親指を眼球に突き刺して悶絶した。
こんな簡単な動作でも、右手と左手ではかなり勝手が異なる。
常々思うのだが、なぜ左利きとか右利きがあるのだろう。
どうやら人間だけの話でもないらしい。
『すごい左利き』という本もあるくらいだから、脳のデザインのされ方でそれが決まるのだろうか。決まるのだとしたらそれにどのような必然性があるのだろうか。
いや、そもそも生命に必然性があると考えるのが間違っているのか。
鼻の下の溝や、男の乳首に意味がないように、「何かの必要性があって作られた」とは限らない器官や機能が人間には存在する。
とても神が作ったとは思えない欠陥だらけだ。
なんとなくデザインされ、それが特になんの問題も淘汰も働かず残ったというだけの話だ。もしかしたら今後、なんらかの外的な変化によって、その機能が役立つ日が来るかもしれないが、今は特に意味はないのかもしれない。
なるほど。では我々人間にはそのような「余地」が残されているということなのか。
小学生の時に読んだ本で、アリの進化はほぼ頂点に達している、という文言をどこかで読んだ。アリの形態は、これ以上ない形まで来てしまっているのだと。
だが人間にはまだ進化の余地がある。
まあ、厳密にはそれは進化ではなくただの「変化」であって「適応」に過ぎないのだが。
「左利き」と「右利き」が意味もなく存在し、「適応」が働いた結果「右利き」の人類が多くなっているのであれば面白いな、と思う。
だとすれば「両利き」の人間はどこに行ったのだろうか。

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