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「自然」とは何か〜VOCA展2023『山衣をほどく:永沢碧衣さん』に触れて

桜雨となった3月最後の週末。花見の名所として名高い上野公園の一角、上野の森美術館で行われている「VOCA展2023」を訪れました。筆頭賞であるVOCA賞を受賞した絵画作家・永沢碧衣さんの作品『山衣をほどく』から大きな問いを投げかけられた気がしたので、感じたことを取りとめもなくまとめようと思います。
(本記事の内容は筆者独自の解釈であり、作者の意図とは異なる場合があることを予めおことわりします)

VOCA(ヴォーカ)展とは、全国の美術館学芸員・研究者などが推薦する40歳以下の若手作家の”平面”作品を紹介する現代美術展。名称はThe Vision of Contemporary Artの頭文字を取ったものです。私たちACADEMIJANは先週、永沢さんの故郷で製作活動の拠点でもある秋田県南部を訪れ、VOCA賞で作品の推薦委員を担った石倉敏明さん(秋田公立美術大学大学院 准教授)と1日をともにしたことから、この作品に興味がわきました。

今年で30回目となるVOCA展。3/30(木)まで開催中

『山衣をほどく』は、ツキノワグマの身体をキャンバスに見立てるような形で、秋田県の山々の情景がきめ細やかに描かれています。永沢さん自身も狩猟者として山に分け入り、その恵みを得ている一人であることから、私は「この作品は永沢さんの魂そのものなのかもしれない」と第一感を抱きました。しかし、その印象は徐々に変わっていきます。

『山衣をほどく』は高さ249.5cm×幅399cmの巨大なキャンバスに描かれている

なぜなら、作品をくまなく見れば見るほどに、自己表現のようなある種の利己性はおろか、思いやりといった利他性さえも感じなかったからです。かといって無の境地を表現するものでも決してなく、自然界の理(ことわり)をありのままに表現した作品なのだと私は捉えるようになりました。

「自然」とは何か―作品から私が受け取った問いの根幹です。

この作品には、田畑や民家、あるいは土砂崩れした法面の土留めなど、人の営みが隠すことなく表現されています。しかし、人そのものは描かれていません。つまり、私たちの暮らす「環境」が投影されたのが、この『山衣をほどく』だと思っています。

非常に考えさせられたのは、人類が介入した「自然界」の是非。作品には、地域の人々が崇めてきた寺社だけでなく、送電線や電灯など科学技術の産物も描かれています。どこまでが自然界に存在することを許容され、どこからが忌避されるのか。

左:ブナの原生林と思われる自然林の隣には規則正しく植林されたスギ林が描かれ、土砂崩れが起きている部分も/右:熊の「月の輪」部分は豊かに水をたたえる湖で表現されているが、突端にはダムが

より時代を遡れば、横手市では縄文時代の遺跡が発掘されています。これを人為的な開発と捉えることもできるでしょう。弥生時代から我々の祖先が営んできた稲作なども同様です。人工物は果たして悪なのでしょうか。

作品に描かれている熊は、人間に運命を歪められた存在と捉えることもできます。息絶える寸前に何を訴えようとしているのか、とても考えさせられました。

熊膠(くまにかわ)という熊の毛皮を原料にした画材を自らの手で作り、作品に用いているという

「人新世」とも呼ばれる現代。熊も人も、人間の手が入った自然界を生きる運命を背負っています。永沢さんの作品を通じて、我々の営みは世界を不可逆な方向へと導くことと表裏一体でもあるのだと、改めて痛感させられました。

人間が自然や他の生物に大きく影響を与え得る存在であることはもちろん、自らの運命をも危うくしかねないことを今一度自覚し、その上で科学技術の力を使ってどのような世界を作りたいのか―「科学技術」という強大な力のすぐ傍らにいる私たち科学技術コミュニケーターは、なおさら自覚的でなくてはならないのだろうと思いました。


執筆:関本一樹

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