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Vol.1 やりたいことをやり続ける証を胸に

大学院生または大学院修了生にインタビューを行い、個々人の研究生活や将来への想いに迫る本企画。1人目は、今年の3月に総合研究大学院大学で博士号を取得した、青木優美さん。化学から素粒子物理学へ、研究の道から科学を応援する道へと、その時々に自分の興味が惹かれる方へ軽やかに飛び込み、挑戦を続けています。そんな青木さんにとって、博士課程はどのようなものだったのか伺いました。

青木優美:博士(理学)。総合研究大学院大学修士・博士課程で、素粒子物理学を専攻し、建設が検討されている国際リニアコライダー(ILC)の測定器開発に携わる。博士課程修了後、2022年4月から株式会社しびっくぱわーに所属。イベント運営や実験教室などを行う。https://note.com/rikei_rate/


好奇心に駆られて飛び込んだ素粒子物理学の研究

--青木さんは大学院で素粒子物理学を研究されていたということですが、素粒子を知ったきっかけは何でしたか?

青木さん:最初に知ったのは高校生の時で、本当に偶然でした。高校生の時、清掃場所だった進路指導室で、たまたま『神の素粒子』という本を見つけたんです。きれいな装丁で分厚いからすごく目立っていて、思わず手に取りました。しかし、読んでみても全く分からず。そこで、これもまた偶然ですが、物理を教えていた先生が素粒子物理出身の方だったので、分からないところを聞いたりして。素粒子のことを知ったのはその時です。

--その時から、素粒子の研究者を志すようになったのですか?
青木さん:いいえ、すぐに素粒子を研究しようとは思わず、大学学部生の頃は化学を専攻していました。化学は分子同士の反応を扱う学問ですが、そこでは電子の動きが重要になります。化学を学ぶ中で、先生に電子について質問した時に、「それは物理の先生に聞いて」と言われたことがあったんです。ものの根本を調べるには物理学が必要なのだと、その時気づきました。そこから改めて素粒子に興味がわいて、大学院に進学するタイミングで素粒子物理学に転向したんです。

--ものの根本を探るのが素粒子物理学、ということでしょうか。素粒子物理学がどのような分野か、もう少し教えてもらってもいいですか?
青木さん:素粒子物理学が目指すのは、宇宙を支配する法則を解き明かすことです。宇宙と言うと、夜空に浮かぶ星や銀河を思い浮かべると思いますが、ここではもっと広く、身の回りにあるすべてのものを指して「宇宙」と言っています。
 
「宇宙」を支配する法則を解き明かすためには、まずはものが何からできているかを考える必要があります。例えば水を見てみると、水は水分子からできていて、分子は原子からできていて、原子は陽子や中性子、電子からできています。 

--陽子、中性子、電子は高校で習った記憶があります。
青木さん:そうですね。でも実は、陽子や中性子はさらに細かく分割することができて、それぞれ3つの素粒子からできているんです。ちなみに電子はそれ自身で一つの素粒子です。

このようにものを分割し続けた時に一番小さいところにあるのが素粒子で、身の回りのすべてのものは素粒子からできていると言えます。その素粒子を支配する法則を解き明かすことで、「宇宙」を支配する法則を解き明かそうとしているのが素粒子物理学、ということになります。

--少し分かってきた気がします。大学院から素粒子物理学に移ったということでしたが、化学から物理学への転向はかなり勇気のいることだったと思います。迷いなどは無かったですか?
青木さん:正直なところ、大学院に進む時に、あまり先のことは考えていませんでした。素粒子に興味はあったものの、大学院を卒業した後は素粒子の研究者になりたいとか、そういう気持ちも無かったです。当時一番面白そうと思ったのが素粒子だった、ただそれだけで飛び込んだ、という感じです。

--まさに好奇心に駆られて、という感じですね。大学院に入学した後は、大変では無かったですか?
青木さん:学部で物理学を学んできた学生が当たり前に知っていることを私は知らなかったり、知識の差を埋めるのは大変でした。それでも、私がいた総合研究大学院大学 (以下、総研大)はやる気のある学生を懐深く受け入れてくれる場所で、例えば私の物理学の基礎勉強のために、指導教員が毎朝2時間ほど時間を割いてくれたり、他にもたくさんの先輩や先生に支えてもらいながら、博士号をとることができました。なので、指導教員には頭が上がりません(笑)。


国際研究プロジェクトに携わった大学院生時代の研究生活

--青木さんが博士課程で行っていた研究は、具体的にどのような研究だったのですか?
青木さん:私は、ヒッグス粒子を観測するための装置作りに関する研究をしていました。ヒッグス粒子は、質量の素(もと)になっている素粒子です。

--ヒッグス粒子の発見は、2012年のノーベル物理学賞で話題になりましたね。
青木さん:これまでの研究で、宇宙ができた後、ある時点でヒッグス粒子が宇宙に満ちたことが分かっていて、素粒子がどのように質量を持つようになったのかは、すでに説明がついています。しかし、そもそも、なぜある時点でヒッグス粒子が宇宙に満ちたのかは分かっていません。そうした未解明な部分を調べるために、ヒッグス粒子を大量に生成できる「国際リニアコライダー(International Linear Collider:ILC)」の建設を目指す、国際研究プロジェクトがあります。
 
ILCは全長約20kmの、超巨大な実験装置です。その中で、光の速さとほとんど変わらない速さにまで粒子を加速させ、衝突させることでヒッグス粒子を生成できるのです。粒子が衝突すると、反応で生成した粒子が四方八方に飛んでいきますが、衝突地点の周りには半径8mの円柱形をした検出器が置かれていて、そこで生成粒子のデータを観測します。

ILCの模式図。青木さんが研究されていたのは、
中央にグレーで描かれている検出器の一部分です。
(画像はKEK ILC推進準備室ホームページより)

私はILCの中でも、生成した荷電粒子が飛んできた方向やその運動量を測定する部分の開発に携わっていました。目指すべき精度を設定し、その精度を達成すべく、試作品を作って実験室でテストすることを繰り返しました。実験の目的は「宇宙のはじまりを解明する」と言うことができ、かっこよく聞こえますが、実験の作業はひたすらケーブルを付け替えてはデータを取る、など、地味なものです。

--国際規模での研究機器開発の一翼を担えるのはすごいです。国際プロジェクトと言うことは、世界中の研究者が参加されているわけですよね?
青木さん:装置の中でも、私が直接関わっていた部分については、アジア各地の研究者20人くらいのグループで行っていました。装置全体の研究開発となると数百人規模、さらに広くILCに関係する研究者まで含めると数千人規模になると思います。

--すごい規模ですね。学生時代の内に、そうした国際規模の研究プロジェクトに参加してみていかがでしたか?
青木さん:ILCはまだ検討段階にある実験施設なので、設計が完全には決まっていません。ですので、学生の研究でも良いアイディアがあれば、世界中の研究者が関わる実験施設の一部に採用される可能性があります。そうしたチャンスに恵まれている環境で、海外の研究者とディスカッションをしながら加速器を作っていけるところが、非常に魅力的でした。
 
一方で、ILCプロジェクトが社会に受け入れられるにはまだまだ課題が残っており、まだプロジェクトの実現には至っていません。社会とのコミュニケーションを行いながら建設可否について考えなければならない状況ですが、研究に関わった一人として、建設が実現されることを願っています。


科学を研究する道から科学を応援する道へ

--大学院で博士号をとられた後、現在はどのようなことをされているのですか?
青木さん:博士号をとった後、今年の4月からは株式会社しびっくぱわーに所属しています。しびっくぱわーは「あらゆる挑戦を応援する」という理念の下で、地域で新しいことに挑戦している人や組織を多方面からサポートしています。私は、イベント運営や記事の執筆、実験教室などを行っています。

--実験教室で心がけていることなどはありますか?
青木さん:実験教室は、博士課程で私が培ってきた、物事を考えるプロセスを伝えたいという思いから始めました。例えば実験教室の最初にりんごを見せて、りんごについて思いつくことを何でも書いてみよう、喋ってみようと子どもたちに言います。「赤い」「果物」「木になっている」などなど、色々出てきます。そしたら次に、赤いと言ったけど赤くないりんごもあるよね?と問いかけたり、あるいはどれくらいの重さだと思う?と尋ねてみたり、自分の考えを言葉にする練習をした後に実験に入ります。そうすることで、実験で思ったことや分かったこと、考えたことを言語化するプロセスを大事にしてほしいと思っています。

白衣を身にまとい、実験教室を行う青木さん(正面右)

--自分の考えを自由に述べられる実験教室はすごく楽しそうですね。青木さんは、実験教室を行うためのノウハウはどこで得たのでしょうか?
青木さん:大学院生の頃から、素粒子物理学を中心に、科学の面白さを専門家ではない方に伝える活動を積極的に行っていました。ILCの建設候補地が日本の東北地方だったこともあって、東北に行ってILCの紹介をしたり、子どもたちと実験教室をやったり。他には、筑波大学の学生が中心となって活動している「つくば院生ネットワーク」というサークルにも参加していましたね。

--そのサークルでは、どのような活動をしていたのですか?
青木さん:つくば院生ネットワークは、筑波大学の大学院生が立ち上げた団体で、学生同士でお互いの研究を紹介し合ったり、地域の人たちに研究を紹介したりする活動を行っています。
 
私がいた総研大は、国立の研究施設に大学院生が配属される、特殊な大学院です。私はつくばにある高エネルギー加速器研究機構にいました。通常の大学院以上に研究に集中できる素晴らしい環境が揃っていますが、研究室にこもってばかりいると、素粒子物理学一色に染まってしまう気がしたんです。それも悪いことではないのですが、私は他の分野を研究している人の話も聞いてみたかったので、同じつくばにある筑波大学の学生たちに混じって参加していました。

--その活動の中で、特に印象に残っているイベントなどは何かありますか?
青木さん:一番思い入れを持って取り組んだのが、「みんなの学会」という催しです。サークルの代表を務めていた方の、「分野間の垣根を超えた学会をやりたい」という思いから始まった企画です。当時、私はちょうど手話に興味を持っていた時期で、せっかく「みんなの学会」をやるなら、耳が聞こえる人も聞こえない人も楽しめるものにしたいと思いました。そこから、登壇者の研究発表に手話通訳をつけたり、手話パフォーマーを呼んだりと、奔走したのを覚えています。

「みんなの学会」での発表の様子

--分野間の壁、耳が聞こえる・聞こえないの壁、いろいろな壁を越えて学問を楽しめる企画ですね。
青木さん:ありがとうございます、学問が本当に誰でも楽しめるものになったらいいなと思っています。

--そうした大学院での経験が、現在の活動につながっているのですね。一方で、やはり博士号を取ると、研究者に進む道も視野にあったのではないかと思うのですが、その選択肢は無かったですか?
青木さん:迷いましたが、別の道に進むことを決めました。自分は研究者になるよりも、科学を広める活動をする方が向いていると思いました。

--博士が終わるころには、研究の道を究めるよりも、科学全体を応援するようなことをしたいと思っていた?
青木さん:そうですね。博士課程で、研究も含めて色々なことを経験する中で、研究者とは違う立場から、科学を取り巻く環境を良くするような活動が出来たらいいなと思うようになっていきました。でも、博士号をとって、研究者の道には進まないことを決めてからは、自分の博士号には価値があるんだろうかと悩んだこともありました。

--それはどのような悩みだったのでしょうか?
青木さん:今所属している会社では、博士号が直接活きる業務はありません。研究者にはならないと決めたものの、この先博士号という資格が必要になることは無いだろうという状況になった時に、 博士号をとった意味が一瞬わからなくなったんです。その時に、ツイッターである人がつぶやいている言葉に出会いました。その方が、「博士号はその人の哲学だ」と書いているのを読んで、博士号は必ずしも研究者になるためのものではないと、はっとさせられたんです。私が大学院に入ったのも、将来的に研究者になるためではなく、ただ大学院で素粒子の研究をやりたかったからです。その結果、学問を修めた証である博士号をとることができたなら、それは私がやりたかったことをやり切った証なのではないか、と思うに至りました。だから私は、私が大学院でやりたいことをやり切った証として、そして今後もやりたいことをやり続ける意志の象徴として、博士号を掲げて生きていくことにしました。
 
以前、研究者にならなかった博士号取得者が集まる座談会 に参加する機会がありました。そこでみんなが口をそろえて言っていたのは、「博士課程はもう少しオープンでもいいのではないか」ということです。少なくともそこに参加していた人たちはみんな、研究者にならなくてもハッピーに生きている、研究者にならなくても博士課程に進む意味はある、と思っていました。そう思う人たちもいるので、博士課程に進もうか迷っている人たちには、ぜひ博士課程に来てくださいと言いたいですね。

--「博士号はその人の哲学」というのは素敵な言葉ですね。私も、博士課程のハードルは下がってほしいと思います。最後になりますが、青木さんのこれからの目標を教えてください。
青木さん:「つくばで科学と言えば青木」と言われるくらいになりたいですね。研究者ではない、少し引いた立場から、地域の人や学校の先生たちと協力して、科学に関わるみんなを応援していきたいと思います。科学の街と言われるつくばから、科学を盛り上げていきます。


どんな時も、自分の好奇心の赴く方へ全力で進んでいく青木さん。そのエネルギーに圧倒されたインタビューでした。博士課程の捉え方はまさに青木さんらしく、私の中にあった博士課程に対する固定観念も優しく崩れていきました。これから青木さんがどんな挑戦をされていくのか、とても楽しみです。
 
青木さんは、本記事で触れたもの以外にも、まだまだたくさんの活動をしています。最後にそのうちの一つを下記でご紹介。青木さんの活動量にただただ脱帽です。

~インタビューこぼれ話~
青木さんが大学院生時代に立ち上げたアクセサリーブランド「粒や」。物理学の記号(ファインマンダイアグラム、ラグランジアン、ハミルトニアン、etc.)をモチーフにした、グッズやアクセサリーを販売しています。物理学を知らずとも、アクセサリーとして見た目がおしゃれになるように工夫されています。
https://tsubuya.info/


取材:田中萌奈、細谷享平 / 記事執筆:細谷享平


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