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DNAの旅「直木賞候補作のモデルとなった祖母」後編

小説のモデルにもなった祖母。後編では祖母と祖父との不思議な夫婦関係の謎に迫る。

夫婦を繋いだものその①「生活者としての自立」

結婚した夫が、大きな会社を辞めその後、事業を始めるも次々と失敗していく。夫は長男で、田舎にいる両親を養わねばならないのに稼ぎがない。二人の間には娘もいる。

この状況で、ただの専業主婦だったら「私はなんてところに嫁いだんだろう」と嘆いていたであろうが、祖母にはその選択肢はなかったようで、「お金が無いなら働く」とさっさと働きに出た。

さらに、仕事をバリバリとこなし、「生活のための仕事」を自分の「生きがいのための仕事」にまで変えていった。自分の人生を夫に依存しない、自立していた女性だと言える。

そして、祖父も事業は上手くいかないながら、祖母のヒモになる訳ではなく、あれこれお金を工面し、なんとか一旗揚げようと必死にもがいていた。私の母(夫婦の娘)の話によると、祖父は家事全般ができる人だったので、仕事で祖母が遅くなった日は、祖父が文句一つ言わず、晩御飯を作ったり、掃除をしたり、せっせと家事をこなしていたという。

当時の常識から考えると夫婦が逆転している部分はあるが、それぞれが生活者として自立していたことが、二人を安定させていたのだと思う。

夫婦を繋いだものその②「義理の両親への恩義」

小説「ハルカ・エイティ」にも出てくるが、祖母はいつも「私はとてもラッキーなところにお嫁に来た」と言っていた。嫁いだ先の両親がそれはそれは良い人で、祖母のことをとても大切にしてくれたという。祖母は、仕事はバリバリできた人だったが、師範学校(教員養成の学校)に行っていたこともあり花嫁修業はほとんどせず、いわゆる「家事のできない、気の利かない嫁」だったそう。

そんな「できない嫁」である祖母を、義理の両親は一度も叱ること無く、一つ一つ優しく色々な家事を教えてくれたという。そして、食べるものやお風呂も、いつも嫁を優先して自分たちは後で、という両親だったという。

祖母にとって「自分にはもったいない両親」を見捨てることは選択肢としてあり得なかった。そのことが夫婦の一つの絆になっていたのかもしれない。

夫婦を繋いだものその③「互いの自由を尊重するという愛情」

小説「ハルカ・エイティ」は、実在した人(祖母)をモデルにした小説であるが、もちろん、たくさんの虚構も織り交ぜてある。

にしても、である。どこまで本当かはわからないが、家族である私達には少々ショッキングな祖母のプライベートが赤裸々に出てくる(まあ、書かれること=読まれることを祖母が許可したので仕方ないけど)。

小説では祖母は中年になってから「女である自分」を開花させたということになっている。つまり、夫(祖父)以外に男の人がいたのだ。それも、次々と。いやいや、夫も子どももいる婦人が「女を開花」ってあかんやん…と言うのは簡単だが、旦那は稼ぎがなく、そのうえ外に女を作り、おまけに一人娘と義理の両親を自分が養い、自分の力で一軒家まで建てた祖母。そこまで頑張っている彼女に、誰が何を言えるだろうか。

それに加え、職場での祖母は「夫に稼ぎがなく仕方なく働く妻」ではなく、保育に情熱を捧げ、バリバリと仕事をこなしていくワーキングウーマン。祖母の遺品のアルバムを見たことがあるが、職場での祖母は、それはそれは美しく目立っていた。洋服は雑誌をみて全部手作りしていたと言っていたが、さながら「宝塚歌劇団を匂わせる幼稚園教諭」といったところだろうか。そして、何よりカメラを見るそのまなざしには、「自信」のようなものが漂っていた。そりゃあ、モテるよね。

しかも、面白いことに祖母は、祖父に外に女性ができたとき、こっそりと相手の女性に会いに行っているのだが、その時の相手の対応に「これは敵わないな」と白旗を挙げているのである。ヒステリックになるのでもなく、「敵わないものは敵わない」と受け入れる。なんと正直な。ここは小説の中でも私が気に入っている部分である。

「事業の失敗を繰り返し、外で女の人を作っている夫」「仕事をバリバリにこなし、これまた外に彼氏のいる妻」。もうこの時点で夫婦が崩壊していてもおかしくないのに、この二人、夫婦であることをやめなかった。

結果はどうであれ、一生懸命に生きようとしている相手を信じること。それぞれ、懸命に生きる上で、自分以外の人を好きになるということ。そして、それらをすべて受け入れた上で、やっぱり自分の夫、妻はそれぞれただ一人だということ。

普通の男女を超えていると思われる、相手への信頼と自由の尊重。もう、その夫婦にしかわからない世界である。私がこの目で確認できたのは晩年になってからの二人の姿だが、二人は二人にしかわからない歴史を超え、れっきとした夫婦であった。祖母は、病に倒れた祖父を懸命に看病し、二人は立派に添い遂げた。

「たのしくなくてもたのしくしようとして生きた」

「どんな時代でも 平々凡々たる日常があるだけ。けれどもその平々凡々な日常をたのしく生きた、たのしくなくてもたのしくしようとして生きた」(「ハルカ・エイティ」著者あとがき)。

祖母と話をしていて、私はいつも感じていた。この人は、運命だとか不運だとかを「嘆く」ことをしない。いや、実際にはたくさん嘆いてきたのかもしれないけれど、その度に立ち上がって眼の前にある人生を存分に楽しむことを考えていたのだろう。

祖母が生きた時代、戦争は人々に暗い影を落としたが、祖母は眼の前にある日々を楽しみ、生き抜いた。そのことが、孫である私には一つの光となっている。そして、彼女の生き様が一つの小説となって世に残っていることを、素直に嬉しく思うのである。








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