東京の中の江戸を感じる散策会〜上巻後編

すっかり間があいてしまいましたが、7月に2日に渡って行われた散策イベント、1日目の後編です。

地図があるからわかること

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目白通りをしばらく進んだところから、脇道に入ったところにある鈴木家には、かつて「山口一」(やまぐちはじめ)が住んでいたとか。
山口一とは、のちの新撰組隊士・斎藤一のこと。

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さらに少し進み、専大通り方面へ左折。

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そのまま専大通りへは入らずに、目白通りと垂直の道を進むと、他の道に対して対角線のように斜めになった道に出くわします。

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この道は、水道橋駅の方に向かってまっすぐ伸びていて、駅前が栄え始めた頃に放射状に作られた道の一つとのこと。

幕末に設置された講武所跡を通り、さらに先に進むと、確かに5本の道が一つに集まっている箇所に出ました。
経緯を知ってから眺めると、道から感じられる雰囲気も違って見えてくるのが面白いです。

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歴史の名残いろいろ

そのまま神田川を渡り、外堀通りを進みます。

現在も残る「水道橋」という名ですが、その由来となったのが神田上水の懸け樋です。
神田川を越えて、対岸に飲み水を送るために作られた、水の通り道があったということです。

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さらに進み、湯島聖堂へ。
ここで守衛をしていたのが、藤田五郎、すなわち晩年の斎藤一。
最後は子供の頃を過ごしたすぐ近くで勤めていたとは、驚きました。

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さらに外堀通りを、すなわち神田川沿いに進み、近代の歴史的遺物である旧万世橋駅へ。

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最近はおしゃれなお店が入っているようですが、今回は外から眺めるのみで、そのまま秋葉原方面へ。

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森にいるのはキツネではなく…

再び神田川を渡って到着したのが、柳森神社。

太田道灌によって、江戸城の鬼門除けとして伏見稲荷を勧請して創建されたと伝わる神社で、烏森、椙森(すぎもり)とともに「江戸三森」とされたとか。

稲荷神社といえばキツネなのですが、大きく目立つのはタヌキ。

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タヌキの方は、もともと江戸城内に祀られていた「福寿稲荷」に由来するとのこと。
五代将軍となった綱吉の母・桂昌院は、八百屋の娘だったところ、三代将軍家光の側室となり、のち将軍となる子を産むことに。

その桂昌院が祀ったのが、この福寿稲荷。

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他を抜いて(たぬき)大出世を果たした桂昌院にあやかり、大奥の御女中衆がこの「お狸さま」をこぞって崇拝したとか。

のちに、この柳森神社に合祀され、現代に至っているとのこと。

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おたぬきさまを後にして、最後は北辰一刀流の開祖・千葉周作が開いた玄武館にてゴール、解散となりました。

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「水の巻」と称した会でしたが、強い日差しの中の散策会となりました。
元々は雨の予想だったため、日傘がわりに雨傘を差す人もいるほどの暑さでしたが、それぞれの場所をしっかり堪能することができました。


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