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面白いものが作れたら自分でわかる

私は飽き性で、何をやっても長続きしない。二十歳前後の頃に従事していたアルバイトは、一年以上続けられた試しがなかった。
例外として、期間が決められたものは、満了するまで続けることはできた。それでも「いつ辞めてもいい」と言われると、即日辞めたこともあった。

二十歳前後というのは、親の庇護を受けるモラトリアムの子供と、生活も精神も自立する大人との、過渡期に位置する。
なんとなく大学に通いたいと希望する人は、仕事や学業などにおいて、人生に迷っているのかもしれない。そういう人が大学に落ちると、ますます迷う羽目になる。私もそうだった。

長く趣味として持ち続けているものというと、私の場合は、創作くらいのものだ。
最近、背景イラストやコンセプトアート、絵本も練習するようになった。それより前は、ずっと小説を書いたり、ゲームのシナリオを考えたりしていた。

昔は、いつも迷ってばかりいた。
自信がないけど、無我夢中で創作をしてみる。
やがて、乗り越えられない壁にぶち当たる。
考えても考えても、作品がこれで良いのかわからない。
自信がなくて決められない。
かと言って、相談に乗ってくれるような、信頼に足る仲間はいない。
どうしたらもっと面白いものになるのかがわからない。

人が面白いと思うのは、あっち。
だけど自分が面白いのは、こっち。
自分の感性を信じるか、大多数の人々が作るトレンドを信じるか、それとも別の先見の明を取り入れるか……
そうして迷っているうちに、自分がちっぽけで不確かな存在だということに気づく。嫌気が差し、最悪の場合、挫折することさえある。

道に迷った創作者に効く、薬のような漫画を知っている。
日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」。全三巻。

最終巻の冒頭に、漫画を描き始めた主人公が、大御所漫画家である父親の秘書をしている女性に、ネームを読んでほしいと頼むシーンがある。
女性は主人公に問う。
「それ、面白い?」
その質問には、主人公、つまり作者自身が、面白い作品ができそうだと確信があるかどうかを確かめる意図があった。
「うぬぼれじゃなくわかるものよ」

最近、作品を作り始める前に、いや作品に限らず、いかなる自分の選択も「これはできる」とわかるようになってきた。
できない時は、ひたすら迷っている。
大丈夫、挑戦したい。そう思えるものは、まったく迷わなくなった。

天職とは、そういうものかもしれない。
あがいたり、分析したり、迷ったり、諦めたり。
それを繰り返しても、道は一本になっているのだろう。


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