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創作者クラスチェンジ!

創作を円滑にするための型を、いろいろと試したり、使いやすく微調整したりしている。
例えば、物語を作る上で「起承転結」という型がある。
これを「起承転転」にして、「結」を読者に意識させないくらい、あっさり控えめにした方が収まりがいい、とか。
そういう型の試行錯誤をしている。

前は、こういう理論を、自分の創作に適用することをしなかった。
書きたいものを、書きたいように書いていた。

他者の創作論などを読むと、「自分の書きたいものを書くのではなく、読みたいものを書きなさい」という人もいた。
だが、私はどうしても、読みたいものを書くというのは、性に合わなかった。
読みたいものがなかったのだ。ライトノベルなど、一時期書いてみたこともあったが、そもそもライトノベルを読むこと自体、好きではなかった。
なぜなら、文章力において、文豪の書き著した古典や、歴史小説に匹敵するくらい優れたライトノベル作品を、数えるほどしか知らなかったからだ。
だから「読みたいものなんて、ないから書けない」と葛藤したこともあった。

先日、ゲーム制作の相棒と、こんな話になった。
「前は、私は自由に物語を書いていたから、ちょうど肉弾戦をしているイメージでした。私は武闘家なんですよ。自分の筋肉に物を言わせて、パンチとかキックとか、いわゆる体術を繰り出して、力任せに技を使って、作品を完成させていたんです。武器は、己の拳だけ。いいとこ、メリケンサックを装備するくらい」
創作をRPGに当てはめるなら、武闘家のような心構えで、創作をしていたということだ。

相棒は、そんな私の話を、黙って聞いている。
「でも今、物語の型を見直していると、自分の鍛えていた筋肉を、鎧兜で押さえつけている感じがします。今、私は創作の型っていう、鎧を着ているんですよ。どの鎧を着るか、試着段階って感じ。武器は、棍棒です」
あくまで棍棒だ。剣を持っている印象はない。剣を扱うには、テクニックが必要だからだ。攻撃力が低くても、扱いやすい棍棒を使っているイメージなのだ。

前は肉弾戦だったのが、今は白兵戦ができるようになった。
武闘家だったのが、戦士にクラスチェンジを果たしている。

「っていう、自己イメージがあるんです。言ってる意味、わかります?」
と私は聞いた。
相棒は「わかる、わかる」と答えた。
「自分も、前はそうでした。ファイターでした」

相棒はイラストレーターとして修業を積み始めた当初、私の知らないところで、挫折を味わったことがあるらしい。
自分のイラストを、友人に酷評されたのだ。
その経験が、とても悔しかったそうだ。

ちなみに相棒は、普段は決して、負けん気が強くない。
プライドはほとんどないに等しい。口喧嘩になっても、先に折れてくれるような性格だ。

それなのに、自分の作品に価値がほとんどないと言われたことで、「悔しい」と感じた。
その「悔しい」という感情は、相棒にとって、とても珍しい発露だった。

かくして、その悔しい体験をバネに、相棒はイラストレーターとして戦うための装備を、見直すに至ったらしい。

「今もファイターですか?」
と私が聞くと、相棒は少し考えた後、答えた。
「今は魔法使いですね。魔法の杖を手に入れて、呪文を考えているところです」

プログラミングの分厚い解説書は「魔導書」と呼ばれることがある。
相棒は、ITの知識にも明るい。Live2DだのBlenderだの難しいソフトウェアだろうと、二次元だろうと三次元だろうと、物怖じしない。

作品というものは、大人しく完成してはくれない。
自分自身と格闘した末に、ようやく出来上がるものなのだ。


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