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バズった記事に思うこと。

2024年1月7日午後1時。成人式前日に合わせてプレジデントオンラインにて公開された記事が、多くの人の目に触れた。記事は3日間ランキングトップをキープし続け、私のXには記事を読んだ多くの方からコメントが寄せられた。私にとって初めての、いわゆる「バズった記事」だ。

「価値観が変わった」「雅さんの生き方に感動した」という感想だけでなく、私の記事や取材自体を評価してくださる声も多く、書き手としては嬉しいを通り越して、別人を見ているような感覚にも陥る。

ただ、今回の記事だけが特別念入りに取材したわけでもないし、さらに誰かを感動させたいとか、価値観を変えたいと思って書いた記事でもない。私は取材対象者の池田雅さんの魅力を伝えるために必要な情報をかきあつめ、私の目に映った彼女の魅力を伝えただけ。
特筆すべきは編集者さんの的確なアドバイスだ。今回は特に、年末年始返上で記事修正や写真の配置換えを話し合い、公開30分前まで粘った。プレジデントの編集者さんは、やっぱりすごい。

寄せられた感想は本当にその方の受け取り方によってさまざまで、一人ひとりが別々の箇所でそれぞれ心を動かしてくれた。それが私にとってとても新鮮で、嬉しい驚きになった。

ここで読み手の心を動かそう、ここで笑わせよう、ここで価値観を変えさせよう…。
そういう示唆をなるべく排除したからこそ、雑音なくすんなり読み手の心に入っていけたのかもしれない。

特にウェブ上の記事は、読み手の心を誘導し、行動を促すものが多い。そのための記事だし、もちろん私もその手の記事を書く。そうと決まればあの手この手で全力で読み手の心を動かしに行く。

でもときにはこんなふうに、誰にも忖度せず、読み手に委ねる文章もいいなあと感じる。私が誘導しなくても、取材相手の人生が素晴らしければ、読み手は自分の心に投影し、自分の心で受け取ってくれる。

それに、取材対象者が自分ですら気づいていない「良さ」を見つけ、半生をくるっと一つの輪に結んで意味あるものとして渡せたら、書き手としてこんな気持ちいいものはない。

宙返りを決めて着地したときの体操選手のように、大きくガッツポーズが出る。たとえその文章がバズっても、全くバズらなくても。

ということで、しばらくは仕事の合間合間に、全く誰の役にも立たない、誰にも読まれないかもしれないエッセイも、ちょっとずつ書いてみようかと思っています。

3時間半にわたる取材の後、マブダチになった雅さんと。


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