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にじさんじとホロライブの違いについて考えていたはずが月ノ美兎の面白さについての気付きを得ていた

■概略

同人誌即売会で小説を売ったあと「ホロライブはアイドル志向というかそういうところが合わなくて食指が動かず、結局なんとなく見るのはにじさんじになっている」「わかる。結局自分が求めていたのはインターネット面白おにいさんおねえさんなんですよ」という会話をしたので、ちょうどうちに泊まっていったホロライブ好きの友人にそういう会話をしたんだよと持ちかけたら「それはホロライブが面白くないってこと??」と怒らせてしまって丑三つ時の真剣ン十代しゃべり場が発生した結果自分の中での月ノ美兎の面白さと彼女がどういう存在であるかと信仰について明確に自覚することが出来ました。

■自己紹介

不定期に小説を書き、同人誌即売会に出る。2020年、コロナで引きこもりがちになって以降にじさんじへ傾倒していったインターネットのオタク。それ以前から月ノ美兎のことはたまに観ていて「おもしれー女……」と思っていた。口頭で言及する際は大抵委員長と呼んでいる。委員長を除いて好きなVtuberは雨森小夜と名取さな。プリチャン終了後のプリティーシリーズの行方を思うと(アイドルランドがあるとはいえ)気が気でない。ファルル様お救いください……このままではプリパラは……。

■言い訳

にじさんじとホロライブの違いってなんなのかということを考えても正直よくわからない、というか箱で見てもよくわかんなくて配信者それぞれに個別のスタンスがあり方向性があり結局雑な語りにしかならないのでは? という至極真っ当な言説はありつつもそれでも自分が感じたこのなんとなくの食指の伸びなさをどうにか言語化したいんだと午前二時に管を巻いていたあの時の自分たちをどうにか残したくてこの記事を書いています。二ヶ月前の夜のことを忘れられないんだから少しは書いたっていいだろ。

■にじさんじとホロライブ

さてにじさんじとホロライブの違いをなんとなくで挙げると、ホロライブは一応全員アイドルであって統一性がある一方で、にじさんじは女子校生や社会人はまだしも農家や変態女装おじさんなどとりあえず思い付いた属性をつっこんでいるようにしか見えない。そのうち「まだやってない職業」狙い撃ちでキャラクターを発注しはじめるんじゃないだろうか。こういうところに限らず、にじさんじはあらゆる面でひどくまとまりがないように見える。配信頻度はひとそれぞれで、毎日のようにやっている人々(ホロライブはわりとそんな感じらしい。普通に大変だと思う。そういう契約なのだろうか?)もいれば数ヵ月に1回くらいしか配信しないヴァンパイアもいる。

■スパチャ読み人と読まない人

投げ銭に反応する人もいれば反応しない人もいる。いつのころからわからないが、Vtuberはいわゆるスパチャ読みをするようになった。生配信時にコメントとともに金銭を送り付けるスーパーチャットという機能があるのだが、そのスパチャの送り主の名を読み上げつつコメント一つ一つに反応をしていくというようなやつだ。たくさんスーパーチャットが来る人は配信の終わり頃にまとめて読んだりスパチャを読む配信をしたりするらしい。ホロライブの人々はわりとだいたいそういうことをするらしい(インターネット&友人情報)。だいたいの人が毎日配信していたりスパチャ読みしていたりと、ホロライブにはそういうルールがあるのかもしれない。名前を呼ばれて反応してもらえるのだからファンはそれは嬉しいだろうし、また呼んでもらえるかもという期待も湧いて財布の紐も緩む。どう考えても配信者にとってはやり得である。売上げ(適切な表現かはわからないが、他に言葉が見当たらない)のことを考えたらやらない意味はないだろう。営利企業が義務づけようとするのは至極当然である。しかしにじさんじではスパチャ読みをやっていない人もいる。というか委員長のことを想定してしゃべっている。委員長は目に留まった面白そうなコメントを読みこそすれほとんどスーパーチャットを読まないし、いわゆるスパチャ読みは全くしていない。地雷系女の新衣装配信で「おこじゅかいかせぎ、しよっかな……?」と呟いた後にスパチャが来ると「やべっ」と一瞬で素に戻っていた。他にも、個別にスーパーチャットに反応こそすれまとめて読むようなことはしない雨森小夜さんのような人もいる。多分このタイプが多いんじゃなかろうか。ひとそれぞれなんだろうなあという話だが、ホロライブとの差異という考え方をすると「配信者にルールを課すことを避けている」ような気もしてくる(あるいは、初めはなんもわからんベンチャー企業としてやっていたがためにルール作りもなんもできなかったのがそのまんまになっているか。こっちの方が正しそうな気はする。)。

■にじさんじはやりたい放題

そう、にじさんじはなんか好き放題やっているのである。公式でにじさんじのブラックバラエティみたいな台本が3ページしかない30分番組をやっている(元は4ページあったらしい)。個別の配信者が適当に集まっては企画を組んでスタジオで動画を撮っては挙げている。緑仙はすごい。3Dお披露目配信にボルメテウス・ホワイト・ドラゴンが出てくるし楽器までトラッキングしながらライブを行う。おじさんたちがツイスターゲームで組んずほぐれつする。謎の技術で卓球の球をトラッキングする。配信者主催で歌謡祭を行う。まじで百話やる百物語が恒例行事になっている。運営から画面に動きをつけろと言われて自分がクレーンゲームの景品になる。やりたい放題である。
にじさんじはやりたい放題である。とっちらかっている。そういう場だからこそ自分は好感を持っているのではなかろうか。自分は所詮しがないオタクである。文化祭で劇をがんばろうみたいな話でクラスが一致団結して盛り上がっているときもめちゃくちゃ文句を言いながら逃げ回っていた。しかしにじさんじの委員長はお前も自分一人の力で好き放題やれと行動で見せ付けてくる。誰に強制されるでもなく、やりたいことをやれと教えてくれる。そういった人たちが集まっているからこそ、面白いものがあるのではないかと期待してしまう。

■面白さと月ノ美兎

面白い。そう、面白さとはなにか。ひとそれぞれ定義はあるだろうが、自分は次のように考えている。面白さとは、それまで無関係だと思われていた二つ以上の事物に対して、知性や論理や時には感性によってそれらの間には関係性があるのだと示すこと。つまり身も蓋もない言い方をすれば、なにか新しいことをすること。
にじさんじは、今まで見たこともないような新しい地平を見せてくれる。開ける度に中身が変わるびっくり箱のようなものである。そして、その最たるものが月ノ美兎なのである。
月ノ美兎は今までやったことのないことを求めて生きている。月ノ美兎の「やりたいことリスト」はその具現化だろう。そもそもにじさんじに応募したときの理由を語る際に、「ただでさえバーチャルユーチューバーなんてわけの分からないものに、この「にじさんじ」の胡散臭さが上乗せされて(当時のにじさんじ公式HPは相当胡散臭い)よっぽど何が起きるか分からないワクワク感があった」などと書くような人間である(読もう、『月ノさんのノート』!)。RPGで新しいマップへ冒険するような感覚でVtuberになっている。地雷系女の新衣装で初めて髪に色がついたときも、「そういえば自分も髪染めたことないな?」みたいな感じで中身の方も髪を染めに行っていた(っぽい)。今までやったことがないことへ、新しいことへと挑戦し続けるその姿は、どんどん面白いものを掘り出し続けている。

■月ノ美兎がひらいた地平

そして月ノ美兎は多くの視聴者を獲得し、Vtuberが今よりももっとマイナーだった頃から今に至るまでチャンネル登録者数を増やし続け、ありていに言ってしまえば売れた。このとき月ノ美兎は、とかく厭世的な言説が蔓延りがちな昨今の世の中においても「面白いものを作れば/面白いことをすれば『正しく』売れる」という図式が成り立つことをその身で体現して見せたことになる。つまり、まだまだこの世の中は捨てたもんじゃなくて、未来には希望も転がっていて、この社会は生きるに値するものだと示してくれたのである。
普通に考えれば、今ある状況に即して考えれば、月ノ美兎のやり方は「売れ筋」ではない。どこから拾ってきたのかわからないような謎のゲームをやる。突如嫌悪感ギリギリの謎の実写動画を出す。敬遠されてもおかしくない。売れ筋は多分ホロライブの方である。いつのころからかホロライブの人々のチャンネル登録者数はすごい数字になっていって、当時にじさんじで最も多かった月ノ美兎の登録者数をあっという間に抜き去っていった。その後、スパチャ読みとかファンサをちゃんとしている葛󠄀葉がにじさんじの中でも月ノ美兎の登録者数を越えた。順当というか、妥当な経過であると思う。普通に考えて、ファンが喜ぶものを提供して市場を拡大していく、ある意味やって当然のことをやっている。逆にいえば、月ノ美兎はいかれている。およそ売れようという意思が感じられない挙動をしている。
だけどそれでも、葛󠄀葉に抜かれるまでの3年と少し、月ノ美兎がにじさんじの登録者数トップで在り続けた。そのことは、「面白さ」にとっての希望である。面白いということはすごいことであって、人を楽しませることができて、そしてそれでちゃんと金を稼ぐことができる。この世界は、面白いものがちゃんと売れる世界である。そういうことを改めて教えてくれたのだ。これは確かに希望だった。極端な言い方ではあるが、自分たちが生きている「この世界」が、まだまだ生きるに値するものだと教えてくれたのである。

■まとめ

というわけで、信仰の対象は委員長ではなくて委員長が体現している「面白さがちゃんと評価されている世界」だと自覚することが出来た。これによって、「委員長の配信であっても面白くなければ別に見る必要はないな」というある種の開き直りをすることになってしまった。それと同時に、委員長の配信の度に無自覚ながら発生していた「アーカイブを見なきゃ」という謎の義務感にも気付き、そこから解放されることになった。
そうして、月ノ美兎が動画を上げる度にそれを視聴しなければというお門違いの義務感から解放されてなお、私は月ノ美兎の動画を見続けている。恐らくこれからも見続ける。時にはザッピングしながら、時には作業の傍らで。そして時にはそれだけを食い入るように見つめて。
そこできっと、新しい何かに出会えると信じている。


■蛇足

この辺りのこと、いちから(今はANYCOLOR)とカバー(ホロライブの運営)の企業理念を見てみたら全部書いてた(4月4日当時)。今はどっちもサイトを更新してしまって違いがわかりにくくなっているけど。

カバー(リンク切れ)
「日本発で最先端の二次元エンターテインメント体験を」というビジョンのもと、共創とか挑戦とかチームワークとかテクノロジーとかの言葉が並ぶ。ちゃんとしてるなあという印象。

いちから(まだ残ってる)
「魔法のような、新体験を。」「エンタメ経済圏」など、理想のトンチキワードが並ぶ。

でも個人的にわかりやすかったのは以下のところ。

近い将来、人々の生き方や働き方が大きく変わり、
よりクリエイティブなものに時間を注ぐ時代がやってくる。
それは同時に、ユーザーとクリエイターの垣根がなくなる時代で、
消費と創作の新たなサイクルのもと、「エンタメ経済圏」が加速していくだろう。

衣食住の心配がなくなれば創造活動に走るというのは平安貴族の和歌文化で一目瞭然。
いちからがミッションとしているのは新しい時代を創造すること、あるいは来たるべき新しい時代に合った文化を生み出すことであり、言ってみれば市場そのものを作り出すこと。なんなら利益とかそこまで気にしてなさそう。
正直な印象を言いましょう。いかれてるんじゃねえかと思いました。営利企業がやることじゃない。
でもだからこそ、面白そうで惹かれるんだよな。

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