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高校からの台湾留学体験① 波乱のスタート

2020年9月30日

コロナ渦の中、出発日を一か月遅らせて台湾へ出発。

不思議と親との別れに悲しくなることはなく、向こうでの生活のほうが心配だった。

父とモノレールに乗り、空港へ向かう。

沖縄→東京

7:00
空港には全く人がいなく、飛行機も半分くらいの席は空いていた。
朝ごはんを食べながら二時間半程飛行機に揺られた。

飛行機からの景色


東京着

10:00
ここからは乗り換えがあり、一人で台湾に向かうことになる。

出発前の手続き中、学校から連絡が入る。
もともとは14日間だった隔離が21日まで伸びるとの連絡だった。

後で処理することにして、取り合えず荷物を預けに行く。
重さが本当は少しオーバーしていたが、そこは見逃してもらえた。

出発前に事前に用意しておいたSIMカードの番号で台湾の隔離を管理するフォームを埋めていく。ここまではもちろん日本の方が対応してくれたから難なくこなせた。

東京→台湾

19:30
機内には思っていたより多い人数が乗っていたが、一席開けて座るように配置されていた。機内食が配られ、軽く夕飯を食べた。

水を飲んでいたら、CAさんが飛んできてマスクをつけるように指示された。コロナ対策は結構しっかりしてあるらしい。

軽い機内食
機内のアナウンス、個人的めっちゃ好きだった


台湾到着


21:30
飛行機内で準備した資料を手に出ると、教育部のおばさんが名前の書かれたプレートをもって立っていた。

そのおばさんとともに入国手続き、荷物を受け取りに行った。
その後、おばさんとは別れて外へ向かった。

学校の先生と合流し、教育部の人に書類を渡すと、ホテルへ向かうタクシー乗り場へと案内された。

タクシーを待っている間、先生と英語で簡単におしゃべりをした。
ぽっちゃりした中年のおじさんだが、オネエらしい話し方と素振りでとてもかわいらしかった。
いつもは図書館で働いているらしく、授業が嫌になったらいつでも来てねとやさしく話してくれた。

20分ほどすると自分の番が回ってきて、先生がタクシーに荷物を積んでくれた。てっきり先生もタクシーに乗ってホテルまで同行すると思っていたのだが、そんなことはなく、あとは頑張ってねと送り出されてしまった。

見事に大渋滞にはまり、ホテルに着くまで死ぬほど長い時間がかかった。
そのころにはへとへとで、車酔いにもなり、初日から撃沈していた。

ホテル到着後は監護人さんが来てくれ、申し込みを済ませるとすぐに部屋へと向かった。

部屋は少し広めのワンルームで値段にあった大きさだった。
窓からはさっきタクシーで走った大通りを見渡せた。

夕飯が玄関前に置かれていたが、疲れて食べる気が起きなかった。
すぐにお風呂に入り、ベッドへ向かった。

まとめ

今回は初日(移動日)に何があったのか、だいぶ黙々と書き進めました。
初日はとにかく疲れがひどく、あまり記憶がありません…

次回は隔離中の生活について書こうと思います。
良ければ続きも読んでいただきたいです!


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