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『地図と拳』小川 哲

一八九九年の夏、南下を続ける帝政ロシア軍の狙いと開戦の可能性を調査せよ、という参謀本部の命を受け、高木少尉は松花江を船でハルビンに向かっていた。茶商人に化けて船に乗ったはいいが、貨物船の船室は荷物で塞がれ、乗客で溢れた甲板では何もかもが腐った。腐った物は船から松花江に捨てるのが元時代からの習慣だった。一人の男が死体を投げ捨て、「こいつは燃えない土だ」と呟いた。高木は「どういうことだ?」と尋ねた。

男は「土には三種類ある。一番偉いのが『作物が育つ土』で、二番目が『燃える土』。どうにも使い道のないのが『燃えない土』だ。『燃える土』は作物を腐らせるが、凍えたときに暖をとれる。だが、『燃えない土』はどんな用途にも使えない。死体も同じことだ」と言った。通訳の細川が男の出身地を問うと「奉天の東にある李家鎮(リージャジェン)」と答えた。土が燃えるのは石炭が混じっているからだ。これは使える、と細川は思った。

李家鎮は何もない寒村だったが、その地に居を構える李大綱という男が、冬は暖かく夏は涼しく、アカシアの並木がある美しい土地だ、という噂を流した。相次ぐ戦乱で家を失くし、職を奪われた人々が桃源郷の夢を追い、はるばる来てみると、夏は暑く冬は寒く、アカシアなどどこにもない。怒る人々に、李大綱は、誰がそんな嘘を流したと憤って見せ、住む気があるなら、空いている家に住めばいい、土地ならある、と応じた。帰る家のない人々は李大綱から金を借りて家を修繕し、それぞれ仕事をはじめ、李家鎮は体裁を整えていった。

満州東北部にある架空の村を舞台にした歴史小説である。史実を押さえながらも、正史には登場することのない人物を何人も創り出し、日本が中国、ロシア、そして米英との戦争に非可逆的に引きずり込まれていく時代を描いている。人によって読み方は色々だろうが、こういう読みはどうだろうか。当時の日本は、戦争に駆り立てられていたように見えるが、果たしてそうか? 日本の戦争遂行能力を正確に把握していた者は一人もいなかったのか。もしいたとしたら、その結果はどうなっていただろうか、というものだ。

大陸のはずれで清朝の支配の及び難い満州という土地は、ロシアと戦うことになった場合、日本にとって是非とも押さえておきたい土地であった。また、日露戦争で多くの戦死者を出した手前、放棄もできない。リットン調査団が何と言おうが、むざむざ利権を諦めることは不可能だ。そこで、満州族が自ら支配する独立国という建前を作り、五族協和、王道楽土の美辞麗句で飾り立てた。満州国建国は列強を意識した苦肉の策だった。

「五族協和」がどこまで本気だったかは知る由もない。ただ、歴史年表を追うだけで、その当時の日本の軍国主義化にはすさまじいものがあることがわかる。満州国建国に携わった人々の胸にどれほど美しい夢があったのかは知らないが、軍部の力によってそれはどんどんねじまげられていく。その有様を一つのモデルとして描いて見せるのが、李家鎮という街の興亡である。

魯迅の言葉に「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ(『故郷』)」というものがある。「地上に道がない」というのは、冒頭のエピソードでも分かるように、当時の中国では水運が中心だったからだ。

もともとはただの平原であったものを、一人の説話人がかたった話が人々の頭に理想郷を作り上げた。絵空事を信じてやってきた者は無理にでも芝居を続けるよりほかはない。そうして幾人もの人の思いを寄せ集めて出来上がったのが李家鎮。後の仙桃城(シェンタオチェン)である。ロシアにとっては不凍港、旅順に至る要衝、日本にとっては戦争を続けるための石炭という資源の宝庫。仙桃城は、人々の欲望によって築き上げられた架空の都邑だ。

細川は彼の目的にかなう人材を各方面からスカウトしてくる。彼の言い分が通るのは、 参謀本部が後ろで動いているからだろう。満鉄からの依頼で、存在が不確かな「青龍島」の存否を明らかにする仕事についていた須野も細川にスカウトされた一人。須野は細川の紹介で満州で戦死した高木大尉の妻と結婚し、明男という子を授かる。高木の遺児である正男と共に、この親子は日本の勝利の可能性を探ろうと悪戦苦闘する細川の手駒となって働く。

表題の「地図」とは国家を、「拳」は戦争を意味する。この物語は現実には存在しない「青龍島」が、なぜ地図に書き込まれることになったかという謎を追うミステリ風の副主題を持っている。「画家の妻の島」の挿話をはじめとする、地図に関する蘊蓄も愉しい。細川の徹底したリアリズムに対し、須野のロマンティシズムがともすれば暗くなりがちな話に救いを与えている。幼少時より数字にばかり固執する明男が、母の心配をよそに順調に成長し、建築家になるという教養小説的側面も併せ持つ。

登場人物の大半が男性であり、恋愛もなければ房事もない、近頃めずらしいさばさばした小説だ。戦争に材をとりながらも、威張り散らす軍人は脇に追いやられ、主流は知的かつ怜悧な人物で占められているのが読んでいて気持ちがいい。しかし、議論を重ね、言葉を尽くして、日本に戦争遂行能力がないことを解き明かしても、戦争は阻止できない。「問答無用」は日本の病理なのか、と暗澹とした思いに襲われる。それどころか、よくよく見れば、この国は以前より愚昧さを増しているようにさえ見える。せめて、虚構の中だけでも論理的整合性を味わいたい、そんな人にお勧めする。

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