モーツァルト『チェロ協奏曲』-美しきソル・ガベッタのCDより-(1)

 先日の記事でご紹介しました、モーツァルト作曲、ジョージ・セル編曲『チェロ協奏曲』の入ったCDを購入して聴きました。

 チェロ独奏は、ソル・ガベッタ。コンサートマスターは、アンドレス・ガベッタ、指揮とフォルテピアノ伴奏はセルジオ・チオメイ、オーケストラはバーゼル室内管弦楽団。

 ソル・ガベッタは、CDのライナーノーツによればフランスとロシ アのハーフでアルゼンチンはコルドバ生まれとか。アンドレスはソルのお兄さんです。

 AmazonのCD紹介画像を見て美しい方とは思っていました。実際にCDが届いて確認できました。

 合計5枚の写真が鑑賞できます。最初、失礼ながらお顔が長いのかと思いましたが、スレンダーな体つきに合わせてお顔も細いのでした。いろいろな表情も魅力的です。

 華やかな経歴、受賞歴を見れば実力のほども察することができます。

 モーツァルトの同時代にもし彼女がいたら、モーツァルトは彼女のために「チェロ協奏曲」を喜んで作曲していたでしょう。

 もっとも、あまり入れ込みすぎて、妻のコンスタンツェとの間でひと悶着あったかもしれませんが。


 話の筋を戻しましょう。

 このCDには、3曲のチェロ協奏曲が収録されています。レーオポルト・ホーフマンとヨーゼフ・ハイドンと、モーツァルトのものです。

 ただし、以前の記事でご紹介したとおり、モーツァルトの曲は編曲です。出自としては怪しくはありません(笑)。かいつまんでお話ししますと……

 モーツァルトは、オーボエ協奏曲ハ長調k314を作曲しました。後日、訳あって自身でフルート協奏曲ニ長調に編曲・転用しました。

 時代は下がり、20世紀中頃にアメリカの指揮者ジョージ・セルが当時のチェロの巨匠との共演ためにチェロ用に編曲したのです。

 しかし、セルの編曲への賛否両論や今世紀初頭まで埋もれていたことによる、後年の議論の錯綜などのいわくが垣間見られる楽曲ではあります。

 ホーフマンという音楽家は現在ではあまり知られていませんが、

(以下、引用はライナーノーツからのものです)

モーツァルトやハイドンの時代にウィーンで権勢を誇っていました。

 また、ハイドン、モーツアルトとホーフマンは因縁の間柄でもあったという話です。ハイドンはホーフマンを「高慢」とこき下ろしていますし、モーツァルトはホフマンの地位の後釜を狙っていましたが、自分が先に逝ってしまいました。

 ホーフマンのチェロ協奏曲ニ長調は、

バロック風運動エネルギーに支配されながらソリストとオーケストラが互いに名人芸を競い合って火花を散らすといった趣の作品ではない。
むしろ作品に注意深く耳を傾けるほどに、その多層構造と独自の感情表現の数々からなる繊細な表現力のパレットが浮き彫りとなるであろう。

 と、なかなかの出来と評価されています。同時代の作曲家でホーフマンの師匠でもあった、ヴァーゲンザイルのピアノ協奏曲を聴いたことがあります。

 ちなみに、ヴァーゲンザイルは生涯宮廷作曲家として名を馳せ、ウィーンで過ごしました。

 ハイドンやモーツァルトも彼の音楽に親しんだそうです。

 ホーフマンの曲の印象と類似の雰囲気を感じました。師弟間柄であることや時代性、地域性と言うものもあるのでしょう。

 また、当時のウィーンの聴衆というか、アマチュア愛好家を意識してこともあるかもしれません。

 難しすぎてはいけないし、優しすぎても物足りない。どのレベルに合わせるか作曲家は心を砕いたことでしょう。楽譜の売れ行きは無視できませんから。

 モーツァルトは、当時の音楽環境や市場の要請に応えることよりも、自分の音楽を追究していくことの方を選びます。

 また、ハイドンもエステルハージ家と言う強力な後ろ盾があったので、かなり自分の音楽を追究できたと思います。

 歴史の皮肉でしょうか。かたや今に数々の作品や名声を大いなるものにし、かたや当時の名声や威光の影も今では薄れてしまいました。

 ハイドンの曲に関しては、

ハイドンのチェロ協奏曲ハ長調(Hob.VIIb:1)は1961年になって、チェコ国立図書館のラデニン・コレクションの中から発見された。
(中略)ホーフマンの作品とほぼ同時期に書かれた作品であると見なせる。作曲の経緯については推測の域を出るものではない。
(中略)エステル・ハーツィ家の宮廷オーケストラのチェリスト、ヨーゼフ・ヴァイグルのために書かれたとも推測されている。

 ハイドンは長くエステル・ハーツィ家の宮廷楽団の副学長~楽長の地位にあったんでした。この曲に関しては、ホーフマンの作品と比較しながら、

……作品に反映された様式の時代性も容易に認識されよう。ふたりの作曲家は互いに似通ったことをしている一方で、それぞれが独自のスタイルを追求してもいるのである。
独自性については緩徐楽章で顕著に発揮されていて、ハイドンはこのハ長調協奏曲で新たな地平を拓いたと言うことができる。
(中略)ここには古典的なソナタ形式への発展の芽生えが見いだされるのだが、様式が確立されるのはまだ何年も後になってからのことである。

とのことです。

 ホーフマンとハイドンの曲の印象は、ひとことで言えば前者が繊細で感覚的、女性的であるとすれば、後者は大胆で意志的、男性的です。

 ハイドンの曲の緩徐楽章は、表面は一見穏やか移ろう雰囲気と、内実に秘めた激しさの雰囲気の間を行きつ戻りつの対立感を演出しています。


 さて、次にモーツァルトの曲の出番ですが、少し長くなりましたのでここで前編の締めとさせていただきます。

 続きは、後編の記事をご覧ください。


※hellochelloさんの画像をお借りしました

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