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読書びより

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#理性

『人間の建設』No.56「素読教育の必要」 №2〈理性の正しい使い方〉(終)

 素読の意義について小林さんが力説しています。素読は、音読でもありますね。かつて読書は音読が常識であって、黙読で読むことは、歴史的にはまだ浅い、と聞いたことがあります。  古典は音読に適していて、現代文は黙読に適するようにできてきた。そもそも風土記などは古老の口伝が文字に置き換えられて定着したり、古事記などは口述が文字に置き換えられたものですよね。  中学・高校の国語の授業ではよく古典の暗唱が宿題になったのを思い出します。「奥の細道」「方丈記」「源氏物語」などの冒頭部分で

トルストイ『人生論』、読んでいます。3(終)

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第二十五章から最後(補足3)までをまとめました。 📗 第二十五章  愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛なのである。人が他人に自分の時間や自分の力を捧げるだけでなく、愛する対象のために自分の肉

生命に付随するさまざまの現象を研究しながら、生命そのものを研究していると思いこみ、その想定で生命の概念をゆがめている。/補足2 個人的な幸福と欺瞞的な義務とを訴えかける声よりもこの(理性の)声の方が強くひびく時がやがて来るし、すでにもう来たのである。/補足3 トルストイ『人生論』

わたしが人間であり、個我であるのは、他の個我の苦しみを理解するためであり、私が理性的な意識であるのは、それぞれ別の個我の苦しみの中に、苦しみの共通の原因たる迷いを見て、自分と他の人々のうちにあるその原因を根絶することができるためにほかならない。 トルストイ『人生論』第三十五章

トルストイ『人生論』、読んでいます。2

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第十三章から第二十四章までをまとめました。 📗 第十三章  われわれの知識の真実性は、空間と時間の中で対象が観察しうるかどうかにかかっているのではなく、むしろ反対に、空間と時間の中でその対象の

真の愛は常にその根底に個我の否定と、そこから生ずるあらゆる人に対する好意を有しているものだ。この全般的な好意の上にのみ、……真の愛が育ちうるのである。……こういう愛だけが、生命に真の幸福をもたらし、動物的意識と理性的意志との外見上の矛盾を解決する。 トルストイ『人生論』第二十四章

理性とは、人間の動物的個我が幸福のために従わねばならぬ法則である。愛とは、人間の唯一の理性的な活動である。動物的個我は幸福にひかれる。そこで理性が個人的な幸福の欺瞞性を人間に教えて、ひとつの道を残しておいてくれるのだ。この道での活動が愛である。 トルストイ『人生論』第二十二章

もともと人間が考えるべきでないことまで生涯考えつづけてきた人は、理性をゆがめてしまっているため、理性が自由ではない。理性が、個我の要求の検討だとか、その充足方法の工夫だとかいう、本来すべきではない仕事に忙殺されているのである。 トルストイ『人生論』第二十章

人に理性的な意識が与えられているのは、その理性的な意識の啓示してくれる幸福の中に生命をおくためにである。その幸福の中に生命をおいた者は、生命を持つ。ところが、そこに生命をおかず、動物的個我の幸福のうちに生命をおく者は……生命を失うのである。 トルストイ『人生論』第十七章

人間の真の生命、すなわち、人が他のあらゆる生命についての概念を作りあげるもととなる生命は、理性の法則におのれの個我を従わせることによって得られる、幸福への志向にほかならない。……人間の真の生命は時間と空間にかかわりなく流れているのである。 トルストイ『人生論』第十四章

『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』について(2)

アントワーヌ・コンパニョン著『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」を通読して、特に私の印象に残った回について振り返りましょう。 今回はその2回目です。 18「そのものは天使でも、獣でもなく、人間である」 以下「 」内は著者による『パンセ』からの引用です。 「人間は、自分が獣に等しいとも天使に等しいとも考えてはならない。しかし、その両方に無知であってはならず、その双方を知らねばならぬ。」 「人間の偉大さは、惨めであると自覚していることにおいて偉大なのだ。/樹木は自分が惨

トルストイ『人生論』、読んでいます。1

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第一章から第十二章までをまとめました。 📗 第一章  人にとって何より重要で、それだけが必要なもの、すなわち自分の個我は、やがて滅びてしまい、……生きていると自分に感じられないもの、……たたか

人間の生命を誕生から死までの動物的生存とする誤った教えのみが、理性的な意識のあらわれに際して人々が踏み込む、あの苦しい分裂の状態をもたらすのである。この迷いにおちこんでいる人には、自分の生命が分裂してゆくように思われる。 トルストイ『人生論』第八章

動植物や物質の存在を支配する法則の研究は、人間の生命の法則を解明するのに有益であるばかりか、必要ですらあるが、ただしそれは、その研究が人間の認識の主要な対象である、理性の法則の解明を目的としている場合に限るのである。 トルストイ『人生論』第十一章