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読書びより

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#人生論

トルストイ『人生論』、読んでいます。3(終)

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第二十五章から最後(補足3)までをまとめました。 📗 第二十五章  愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛なのである。人が他人に自分の時間や自分の力を捧げるだけでなく、愛する対象のために自分の肉

生命に付随するさまざまの現象を研究しながら、生命そのものを研究していると思いこみ、その想定で生命の概念をゆがめている。/補足2 個人的な幸福と欺瞞的な義務とを訴えかける声よりもこの(理性の)声の方が強くひびく時がやがて来るし、すでにもう来たのである。/補足3 トルストイ『人生論』

わたしが人間であり、個我であるのは、他の個我の苦しみを理解するためであり、私が理性的な意識であるのは、それぞれ別の個我の苦しみの中に、苦しみの共通の原因たる迷いを見て、自分と他の人々のうちにあるその原因を根絶することができるためにほかならない。 トルストイ『人生論』第三十五章

人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。/結び 幸福に対する志向としての生命の定義をぬきにしては、生命を観察することはおろか、生命を見ることもできないのである。/補足1 トルストイ『人生論』

人が真の生命を持つためには、時間と空間の中にあらわれるちっぽけな一部分ではなく、生命全体をつかむことが必要である。生命全体をつかむ者は、さらに付け加えられ、生命の一部をつかむ者は、現に持っているものまで取りあげられてしまうだろう。 トルストイ『人生論』第二十九章

わが身にてらしてわかる肉体的生存の避けがたい消滅は、われわれが世界に対して現在取っている関係が恒常的なものではなく、別の関係を確立せざるを得ないことを、示してくれる。この新しい関係の確立、すなわち、生命の運動が、死の観念を消滅させてもくれるのだ。 トルストイ『人生論』第三十章

他の人々の幸福のために個我を否定して生きるならば、そういう人はこの地上の、この生活の中で、すでに世界に対する新しい関係に踏み込んでいるのであり、その関係にとって死は存在しないし、その関係の確立こそがあらゆる人々にとって、その生命の仕事なのである。 トルストイ『人生論』第三十一章

私の肉体的生存は、長かろうと短かろうと、私がこの人生に持ち込んだ愛の増大のうちにすぎるのであるから、私は誕生前も生きていたと疑うことなく結論できるし、……肉体的な死の以前、以後のあらゆる他の瞬間のあとも生きつづけるだろうと結論することができる。 トルストイ『人生論』第三十三章

人は、自分が決して生まれてきたのではなく、常に存在していたのであり、現在も未来もずっと存在しつづけるということを認識するときにはじめて、……自分の生命が……永遠の運動であることを理解するときにはじめて、人は自己の不死を信ずるようになるだろう。 トルストイ『人生論』第三十二章

トルストイ『人生論』、読んでいます。2

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第十三章から第二十四章までをまとめました。 📗 第十三章  われわれの知識の真実性は、空間と時間の中で対象が観察しうるかどうかにかかっているのではなく、むしろ反対に、空間と時間の中でその対象の

真の愛は常にその根底に個我の否定と、そこから生ずるあらゆる人に対する好意を有しているものだ。この全般的な好意の上にのみ、……真の愛が育ちうるのである。……こういう愛だけが、生命に真の幸福をもたらし、動物的意識と理性的意志との外見上の矛盾を解決する。 トルストイ『人生論』第二十四章

理性とは、人間の動物的個我が幸福のために従わねばならぬ法則である。愛とは、人間の唯一の理性的な活動である。動物的個我は幸福にひかれる。そこで理性が個人的な幸福の欺瞞性を人間に教えて、ひとつの道を残しておいてくれるのだ。この道での活動が愛である。 トルストイ『人生論』第二十二章

もともと人間が考えるべきでないことまで生涯考えつづけてきた人は、理性をゆがめてしまっているため、理性が自由ではない。理性が、個我の要求の検討だとか、その充足方法の工夫だとかいう、本来すべきではない仕事に忙殺されているのである。 トルストイ『人生論』第二十章

人間にとって個我とは、生存の一段階でしかなく、個我の幸福と合致しない生命の真の幸福はそこから開けるのである。人間にとって個我の意識とは生命ではなく、そこから生命が始まる境界線であり、その生命とは……幸福をますます大きく達成してゆくことにあるのだ。 トルストイ『人生論』第十五章