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読書びより

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2023年4月の記事一覧

『人間の建設』No.37 無明の達人 №1〈再び、ドストエフスキー〉

 いまドストエフスキーの「白痴」の、全四巻中第三巻の前の方を読んでいます。主人公のムイシキン公爵は絵にかいたような善人のイメージで、ロゴージンという登場人物が対極の悪人。絶世の美女、ナスターシャをめぐる関係が描かれていきます。  ところで、登場人物のだれかが長広舌をふるう場面があるのですが、その多弁がまるで洪水のようで語彙の過剰に圧倒されそうなのです。ドストエフスキーの小説を読むときの独特の感覚かもしれません。  ともあれ、まだ完読してこそいませんので感覚ですが「白痴」は

『人間の建設』No.38 無明の達人 №2〈わからないということがわかる〉

 この前段で小林さんが次のように言いました。そこから引用の部分につづきます。 「ピカソにはスペインの、ぼくらにはわからない、なんというか、狂暴な、血なまぐさいような血筋がありますね。ぼくはピカソについて書きましたときに、そこを書けなくて略したのです」。  小林さんは截然と言い切ります。「自分にわかるものは、実にに少ない」。こういうところが小林さんの偉いところだと思います。  われわれは小林さんの言うとおり、何となく何でも分かったように思い、そういう顔でいます。ところが、

『人間の建設』No.39 無明の達人 №3〈「小説」のひみつ〉

 前回の記事の繰り返しになりますが、小林さんは「自分にわかるものは、実に少ないものではないか」と言い、岡さんも「外国のものはあるところから先はどうしてもわからないものがあります。」と同調しました。  キリスト教についていえば、私達も知識としてはあるいは教養としては、ある程度知っていると言えるでしょう。キリスト教圏の他の作家の作品を読んだり、聖書そのものを読んだりした方も多いことでしょう。  知識というものはあるのです。まったく知らないわけではない。では、彼我で何が違うのか

『人間の建設』No.36 人間の生きかた №4〈数学者と小説〉

 おもしろいお話です。まず、「数学が壁に当たって、どうにも行き詰まる」と岡さんが言います。岡さんでも行き詰まることがあったんだということですね。  つぎに、そんなときに「好きな小説を読むのです」と岡さんが言います。へー、ドストエフスキーの『白痴』なんかを読むんだ、と今までの話の流れでそう思います。  小林さんも、岡さんが数学で行き詰まると言う話を聞いて意外な感じがしたようですね。  岡さんの次の言葉もおもしろい「行き詰まるから発見するのです」。そうか、とことん考えてそれ

『人間の建設』No.34 人間の生きかた №2〈ドストエフスキー〉

 上の会話に出てきた「白痴」、わたしは未読です。おぼろげですが、昔実家の本棚にあった世界文学全集の一冊を手に取って読み始めた記憶はあるのですが、あまり進まないうちに頓挫してしまいました。  ドストエフスキーの特徴が一番よく出ているのが「白痴」ですか。読んでみたいという気持ちが出てきそうです。  さて、対談の方は20代に人生の方向が決まるかという点に移ります。  20代で始めた仕事とおなじことをわたしも続けています。まあ、会社員ですからそれが普通のことかもしれません。定年

『人間の建設』No.35 人間の生きかた №3〈トルストイとドストエフスキー〉

 こんどはドストエフスキーとトルストイの話に入ります。小林さんがドストエフスキーの魅力を「悪漢」と要約し、岡さんがトルストイを「真正直」と形容します。  これはほとんど正反対の性格というか、ものの見方の違いなのだと思います。岡さんはトルストイの小説を一目で見渡せる街のようと言いました。いっぽう、ドストエフスキーの小説は先が予測できないと。  岡さんの言うことはわかる気がします。両作家の小説を決して多く読んだ経験は私にはありませんが、少ない読書経験でも両者の違いというものを

『人間の建設』No.33 人間の生きかた №1〈本居宣長〉

 以前、わたしがNHKのテレビ番組を観たことです。    本居宣長には友人の妹で初恋の女性がいたのが、見初めたと思う間もなく他家へ嫁いでしまいます。  しかし、のちに夫と死別した女性が実家へ戻りましたので、宣長は最初の妻を離縁して、時間は少しかかりましたが意中の人を妻に迎えました。  賀茂真淵に師事して『古事記』の研究に生涯をかけ、江戸時代すでに読みのわからなくなっていた記述を読めるように、また注釈を著します。  日本書紀をパクった駄本というそれまでの定説を覆して、古事記の

『人間の建設』No.32 美的感動について №2〈ゴッホ〉

 以前、母から額装の古い複製画をもらいました。今自分の部屋の壁にかけているのがそれです。この絵、一般には「ラ・クローの収穫風景」と呼ばれ、ゴッホのアルル時代にかかれました。  ゴッホ自身が自作品の中で最も良い作品だと言っていたとか。彼の絵では、わたしはこれをもっとも好みます。ゴッホの手紙は読んだことがなく、オランダ時代の絵を見たことも。機会があればトライしてみます。  複製画ということに関して、上の会話の前段で小林さんはつぎのように言っています。  岡さんもそれにこたえ