三島由紀夫「花ざかりの森」

三島由紀夫「花ざかりの森」についての情報。刊行は昭和19(1944)年。10月だから、意外と秋に出版されたのだ(勝手に春先のイメージがあった)。三島由紀夫のデビュー作だが、「実質」であって、この前にも作品がある。

巻末の三島由紀夫本人のインタビューを見ると、執筆自体は1941年らしい。16歳の作品だ。彼いわく、「浪漫派の悪影響と、若年寄のような気取りばかり」目につく作品として、あまり高い評価はしていない。

では、その「花ざかりの森」はどんな構成をしているのか。これがまたややこしい。
まず序文としてシャルル・クロスという詩人の
「かの女は森の花ざかりに死んで行った/かの女は余所(よそ)にもっと青い森のある事を知っていた」
という詩が載っている。その後、
〈序の巻〉
〈その一〉
〈その二〉
〈その三(上)〉
〈その三(下)〉
と続く。
「なんだ、そんなややこしくないじゃん」と思ったでしょう。違うのだ。「花ざかりの森」の各話はストーリーとしてのつながりがない。散文詩に近い形式を持っており、しかも表現がまた難解極まる。
今ひとまず見取り図をつけておくと、「人間と神秘」とまとめられるのだが、こんなんではなんのことか分からない。
そこで以下、各話を本文からの引用とともに読んでいく。

〈序の巻〉
章の始まりは、「この土地へきてからというもの、わたしの気持には隠遁ともなづけたいような、そんな、ふしぎに老いづいた心がほのみえてきた。」
この、確かに「若年寄のような」年齢不詳の語り手は、 約5ページにわたり「祖先」の話をするのだが、これがまた「浪漫派の悪影響」たるクダクダしい語りに包まれていて、なんとも趣旨が掴みづらい。

とにかく言えるのは、この語り手が現在を嫌い、過去を愛する懐古的な思想の持ち主だ、ということ。ここで彼の語る「祖先」とはおそらく、実際のじいちゃんばあちゃんということではなく、「失われた過去の上に描かれる美しい記憶」の擬人化、と取るほうがいいようだ。
つまり、ここは憲法の前文と同じように、「花ざかりの森」がどういう作品か、の解説の役割を果たしている、と見ることができる。文章はしかし、驚くほど美しい。
「たとえば夕映えが、夜の侵入を予感するかのように、おそれと緊張のさなかに、ひときわきわやかに耀(かがや)く刹那」

〈その一〉
冒頭の部分には「でんしや」という作品がそのまま流用されている。三島がかつて書いた作品の再利用である。遠くの、音のみ聞こえる「電車」の存在は(〈序の巻〉の「祖先」と同じく)「到達不能な美しさ」を示している。
その後に父、母、祖母、家族についての語りが付け足されている。彼の小説は女性を語るとき、必ず失敗する。それはずっとあとの「憂国」まで変わらない三島の弱点だ。たとえば、
「衰頽(すいたい)でありながらまだせん方ない意欲にあふれているそんないくらかアメリカナイズされた典型を(筆者注:母親の内に)よんだのである。」
「貴族の瞳を母はすてた」
「それをば借りもののブウルジョアの眼鏡でわずかにまさぐった。」

要は、憲法「花ざかりの森」の意図に背く存在として、母親は描かれている(金閣寺の溝口の母のように、醜く)。「美しい記憶」と「失われた過去」を顧みず、「現在」を生きる人間として。

話が前後したが、この前に祖母の話がある。ここでは彼女の「病」が主題となっている。この祖母も、憲法「花ざかりの森」に背く存在だ。なぜなら「病」とは生の持つ苦しみ、汚らしさの象徴である(あくまで「花ざかりの森」の立場からすると)。
最後に父の話がある。相変わらず言葉は美しいが、この祖母と母親の話、女たちの醜さ(「花ざかりの森」側の視点として)の後では、むしろ空々しい印象を覚える。
「父は数人の園丁をしたがえ(…)立っていた。父の姿は(…)豊醇な酒のような秋の日光のしたで、年旧(ふ)りた、飛鳥時代の仏像かなにかのように望まれた。その時、紫の幔幕(まんまく)のようにうつくしい秋空いっぱいに、わたしはわたしの家のおおどかな紋章をちらと見たのである。」
(大江健三郎の「みずから我が涙をぬぐいたまう日」にはこれをパロディ化したかのような描写がある。読み比べるのも楽しいかもしれない)

〈その二〉
話は「熙明(ひろあき)夫人」の神秘体験に終始する。正直、やや退屈である。
主題は「憧れ」と「いのち」。人間の生が、「憧れ」によって彼方を志向するとき、漢字の「命」がひらがなの「いのち」に近づく。
つまり、漢字として形式化された「命」に対する、一回性の「いのち」と、そのために必要な「憧れ」が、夫人の神秘体験をタネに語られている。それだけだ。
が、文章は相変わらず美しい。
「樹々の光りがさわがしく崩れて行った。」
「草や木の幹までもまばゆく光った。」
「微醺の風がふいていった。」
「光ったものは光ったままに、まるで天上の一瞬のようにうごかなかった。」
後の中上健次を思わせる素晴らしい自然描写である。この細部描写のパワーは、さすがの三島と言わざるを得ない。
(「憂国」の文章のなかに「妻の美しい目に自分の死の刻々を看取られるのは、香りの高い微風に吹かれながら死に就くようなものである。」という一節がある。ここでも命が「いのち」に代わっていく一回性の瞬間が語られているようだ)

〈その三(上)〉〈その三(下)〉
申し訳ないがまとめて語らせてもらう。
どちらも、「憧れ」にまつわる話であることは確かだ。
(上)では男と女の出奔話が、(主に)女の視点で語られる。女は途中まで男と仲が良いのだが、海を見たことで関係が破綻する。

話としては、見捨てられた男と、原因の海の両方に焦点がある。
まず、見捨てられた男については、三島由紀夫おなじみ、「手にしてみたら、そんなんでもなかった」のパターンと読んでいいだろう。問題は、海。この海が一体何を示しているのか。
ここが曖昧なのだが、どうやら「畏れ」には(「花ざかりの森」の立場としては)2パターンあるらしいのだ。
一つが、「まことのおそれ」。もう一つが「憧れの仮りのすがた」。そして語り手は暗にこの女の「畏れ」は「憧れ」の変形なのだと言っている。要は、後者だ。
……だから何なんだ、と言いたいのだが、「花ざかりの森」は元々「届かない」もの(過去、祖先、電車)を巡って語られている。

また、恐怖、畏れというのも、ある意味「分からない」から怖いところがある。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というでしょ。つまり、「分からない」から「怖い」というその一点で、「畏れ」というのは(「花ざかりの森」的には)「分からない」からこそ「美しい」「憧れ」と近い、つながるものだ、と考えているのかもしれない。(筆者ではこれが限界だった)

(下)は、夫に先立たれたある夫人が再婚し、南の国へ行く。その後日本に戻り、田舎でひっそり晩年を送る。
この章では「憧れ」が実現しない悲しみが描かれている。が、正直、もうお腹いっぱいである。
とりたてて特筆するだけの描写もない。が最後の、晩年夫人を訪ねた客の見た樫の木が揺れるところ、
「生(いのち)がきわまって独楽(こま)の澄むような静謐(せいひつ)、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。」
この描写は梶井基次郎「桜の樹の下には」の
「いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように」 
とよく似ている。命の盛りにたどり着いたら、その後は滅びるしかない。その、生と死が一瞬釣り合う時、そこに「生/死」という窮屈な二分法を超えた、ある「いのち」の姿を、彼らは見たのだろう。

と、いうことで「花ざかりの森」の解説は終わる。冒頭、シャルル・クロスの詩は(あくまで個人的に)「いのちの盛り(花ざかりの森)で死ぬことの賛美」と思って読んでいるが、それが正しいかどうかは分からない。






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