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「天球儀文庫」長野まゆみ

突然だが、「美」とはなんだろうか?

……そんな(鷲田清一だの外山滋比古だのの)書いた文章を受験勉強で読まされて以来、筆者はこういう「読者に問いかける系」文章が全部嫌いになった。(何が「突然だが」だお前の口に突然だが生のゴーヤ突っ込んでやる)

ただ、一応聞いてみる。何だろうか。鮮やかな色か、整った容姿(人間限定だが)か。

筆者は、「役に立たないもの」だと思っている。「機能美」という言葉がこの世にはある。そう言うからには、普通の「美」には機能がないんじゃないかな、と思うのだ。絵画とか、音楽とか。

でも、「役に立たないもの(機能のないもの)」は「無意味なもの」ではない。「役に立たないけれど、なくては困るもの」はこの世にいっぱいある。青空の青とか。

長野まゆみという作家の小説は私にとって、まさにそのような「美」だった。なにかの役に立つわけではないのだけど、とても美しいもの。

「天球儀文庫」は連作短編集。
「月の輪船」
「夜のプロキオン」
「銀星ロケット」
「ドロップ水塔」
の4篇。
(輪船は蒸気船。プロキオンはシリウス、
ペテルギウスと冬の大三角を構成する星)

このなかで「月の輪船」は九月初頭から去りゆく夏が描かれ、「夜のプロキオン」では冬に季節が移る。
「銀星ロケット」は春の物語が、最後初夏に移る。
「ドロップ水塔」は夏の物語。

一巡する季節のなかの、二人の少年の友情が(ときにすれ違いながら)育つ風景が様々な幻想と共に描かれているのが「天球儀文庫」の世界だ。

このなかで、今回は秋の「月の輪船」のみを紹介する。
作品の時間は、二人の少年の片方、アビが「生徒たちの間で、〈ハンモック〉と呼ばれている席」を引き当ててしまうところから、もう一人の主人公である少年、宵里とアビが「ソォダ水」を飲みたくなったと話をするまで。文庫で30ページの短編。

さて、この小説には、多くの「無駄」が出てくる。
まず、序盤、アビの引き当てる〈ハンモック〉の席自体が、普通なら無駄そのものである。
〈ハンモック〉というのは生徒たちの愛称で、そこは「教室じゅうのどの席よりも上の空になりやすい。」要は、居眠りに適した席だから〈ハンモック〉と呼ばれている。
ここからは「初秋の、硝子(ガラス)のような空気が澄み渡り」また、「ほのかに馨(かお)る木犀の匂いを、開け放した窓から吸いこむことができる。」「中庭を見おろす窓からの眺めは」「上々」で、「筆記帳(ノオト)の上には」「心地よいひだまりができ」る。「ブロックフレーテの練習曲すら」(筆者注:リコーダーはドイツ語でブロックフレーテ)「子守唄になる。」「居眠りも見つかりにく」い。

きちんと授業を受ける、という観点から見れば〈ハンモック〉は無駄どころか不必要な存在であるが、美しい。

また、アビの兄貴分(とまとめていいものでもないのだが)に当たる少年、宵里は、「わざと」「書きにくい厄介なペン」である「ガラスペン」を使う。もっと使い勝手のいい「カブラペンやジロットペン」(筆者注:どちらも実在のペンである)ではなく。彼は、「理科の筆記帳を取るにはガラスペンにかぎるという」「根拠のない定義」を持っている。それだけではない。彼は外国語の授業では「レタリングのしやすいグラフォスペンを使う。」「レタリングよりも綴りを覚えることのほうが」「数倍重要なのにもかゝ(か)わらず」。

さらに、作中の小道具、「鳩のように飛べたなら」("O,for the wings of a dove")という曲の「レコォド」は「けして滑らかにすべらず」、音も「安定しない」。しかし、作中ではこの「雑音(ノイズ)」が「ソォダ水のはじける音」に例えられる。アビは「『雑音の音なんかぢゃない。』」とまで言う。

まとめると、「天球儀文庫」は、
〈ハンモック〉の席、ガラスペン/グラフォスペン、「レコォド」の雑音
といった、一見無駄なもの、マイナスの価値を持つ事物のなかに、意味に囚われない新たな価値を見出しており、そこにこの作品の何よりの美しさがある、と筆者は思う。

みなさんもぜひ。試し読みを貼っておく。

(余談)中上健次「千年の愉楽」は、もちろんこの「天球儀文庫」とはまるで方向性の違う作品だが、被差別部落のなかの犯罪者たちを、あくまで夏芙蓉の甘いにおいと金色の小鳥の鳴く土地の神話的な「貴種」として書いたその手法は、底流に長野氏につながる、価値の転換の発想があると筆者は判断する。

読む人もいないだろうが置いておく。

(「タイトル未設定」となっているが、「千年の愉楽」の試し読みである)




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