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うたは生まれて育つもの



みなとまちのうたプロジェクト
鍵盤楽器と声を用いたアンサンブルユニットのmica+hachi。「みなとまちのうた」をテーマにした彼女たちの楽曲制作過程を音と文字で綴ります。聞き手は、港まちづくり協議会の古橋、アッセンブリッジ・ナゴヤ(以下:アッセンブリッジ)音楽プログラムディレクターの岩田、アシスタントの了徳寺でお送りします。

第1回:はじまりのオトケシキ はこちらから


第2回:その音楽はどんなカタチで届くのか? はこちらから


第3回 : みんなが口ずさめるようなきっかけを はこちらから


第4回:うたは生まれて育つもの〜「変わらない1日」のはじまり


音の往復書簡に響くもの

古橋
この曲は「港まちのうた」と考えていいんですか?

mica
港まちのうたって訳ではないですね…。

hachi
でも、オトケシキ Vol.2のライブで、どんな音楽を届けようかと考えている時に生まれてきた曲なので、港まちも1つのピースになっていると思います。


了徳寺
港まちと聞いて、「あぁ、わかるなぁ」と。人との距離が近い地域というか、都会的ではないというか。実家や田舎を思い出すような、切ないとも優しいとも言えるような作品だと思いました。

岩田
リモートで作成されてますけど、お二人のユニットとしての歴史がとか、楽曲過程でお話されたこととかが音で共有されていますよね。一拍目が合うとかではなく、空気というか「阿吽」の呼吸みたいなものがこんな風に録れるんだなぁと思って。

古橋
空気ですか?

岩田
はい。今、港まちとすごく離れた場所でしてくださっている楽曲制作の過程が、ある意味時空を超えて伝わってくるような不思議な力みたいなものを感じました。私は、歌とか曲を、頭で考えすぎてしまわないようにと意識して聴くようにしているんですけど、空気が聴けるっていうか、そういうかたちをキャッチできたかなって。

mica
それは事前にお会いして私たちのパフォーマンスを見ていただいたからってこともあるだろうなぁって。だから一緒に感じてくださったというか。

岩田
確かに。で、「ポトフ」って歌詞に「おでん?!」みたいなイメージが浮かんでしまって(笑)。「アツアツのおでんでもいいかなぁ」と、和の感じというか。

mica
間違いない!出汁ですよね。ポトフで洒落込んでるけど(笑)。「都会的ではない」とか、「距離が近い」とか言ってくださったのもすごく面白いですね。

了徳寺
僕は、言葉の選び方が都会的であるからこそ、実家を離れて都会で暮らしている人のようなイメージが湧きました。制作はリモートでされたんですね。

mica
曲が出来上がるときは一緒にいました。でも、アレンジは別々のリモートでした。
パーツは、二人で別々にレコーティングして作っておいて、イントロはこんな感じで行こうとか、フレーズはこんな感じがしたけど、音が多すぎて合わないねとか…。そんなことをひたすらやっていく感じですかね。

了徳寺
最初に聴いた時に、若干の遅れやズレみたいなものに気付いたんですが、それはジャズ的な、モッタリとしたノリみたいなものなのかとも思っていました。

古橋
そんな箇所があるんですか?

了徳寺
はい。ほんのわずかです。でもそのリモートならではの特徴が、あえて良さみたいなものとして表現されているのであれば、そこはもう一回聴いてみたい。そこを意識することで、距離感や、それを超えていく空気感みたいなものがもっと楽しめるのかも。

mica
ふふふ。確かにその遅れとかはあります。「ギリOK ⁉︎」みたいなのは、散々確認した記憶があります。ね?!︎hachiさん。

hachi
ふふふ。そうですね…だから音の往復書簡みたいな感じでしたよね。

mica
一度作った楽曲を全部ばらした状態にして、まずはその曲の太い幹になる箇所だけを二人で制作して、あとはその場の空気を乗せようかって。例えば、コーラスが盛り上がって音がいっぱいになっている部分とかは、意外と一発録りなんです。即興でうまく弾けた時のグルーブ感なんかをそのまま使っているので、その時の空気感は入れられている気がします。ズレやなんかはあるんですが、本当に直さなくちゃいけないところだけ直してて。

古橋
ズレもあえて残すみたいな?

mica
そう。なんというか、ガッチリやろうと思ったら、ミキサー専門の方に入ってもらうこととかもできるんですが、今回のコンセプトはそうじゃないよなぁと思って。今だからできるラフさみたいなものをむしろ乗せたいねって。

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味噌汁と時間軸の普遍

古橋
楽曲制作の最初は、どんな始まりだったんですか?

hachi
ちょうど私がお味噌汁を作ることにはまっていた時期があったんです。
日本にクルーズ船が入ってきてコロナが騒がしくなった頃で、仕事がキャンセルになったりして、日々の時間を過ごすことが増えていました。そんな時に「お味噌汁を作ることがすごく楽しいんだ」という話をmicaちゃんにしたんです。micaちゃんは「わたしは朝はコーヒー」とか、そんなたわいもない会話で。でも、実はこの曲はその会話からはじまりました。

古橋
味噌汁ですか。

hachi
はい。その話をしていたのが古民家カフェだったんですけど、「オトケシキではどんな音楽をやろうか?」ってコタツに入りながら打ち合わせをしていたんです。そのシチュエーションの影響もあったかも。お味噌汁の話から、mica+hachiが歌える普遍的な日常の歌があるといいよねっていう話につながって…。そんな曲書いてみようかって。

古橋
つまり、日常風景を歌詞に置き換えていったんですね。
いつもそんな感じで制作されるんですか?

mica
えっと、今の質問はこの曲について?

古橋
質問はこの曲についてですが、おそらく聞いてみたいのは普遍的な話かも。

mica
であれば、私の場合は状況によります。例えば、ダンスありきのものに歌をつけるならやっぱりコンセプトが先にきます。でも、この風景にとか、何か自分がふわっとしている時は、わりと言葉にならないところから自分がリーチしていく方がより感情とかに近づいていけるような気がしていて、そんな時は音楽から入ることが多いです。

古橋
音楽というのは、メロディ?それとも音(の響き)?

mica
メロディーだったりコード?例えば、こんな調子かなぁぐらいから音を探り初めて…。例えば、出汁を(表現しようとすると)これは、カツオなのか、煮干しなのかとか、そこにグルーブはあるのか、(鍋は?)ボコボコしてるのかとか、それはだいたいピアノと向き合いながらするんですよ。

古橋
へー、おもしろいですね。で、今回は?

mica
今回は、言葉、コンセプトです。だから味噌汁という普遍的な世界観が皆さんに届いているのが一番面白くて。「変わらない1日」は、普遍的な世界にフォーカスを当ててるんです。だから、垢抜けなくていい、実家を思い出すのも納得です。

古橋
書き出しの言葉は覚えてますか?

mica
えー…。味噌汁って言葉は出たんですけど、味噌汁って…強すぎるので。全部を 持っていかれてしまう…「で、ポトフ?」みたいな話をしたような。
  
hachi
作りながら、こうしていこう、ああしていこうって話しながら、お互いのキーワードを出し合ってて...。朝起きて、昼を迎えて夜になるというその時間経過…。

mica
あ!そうそう。時間経過。1日の時間軸を、みんなが朝起きて夜まで過ごすから、きっとそれは変わらない。普遍的なものにフォーカスを当てたかったから「変わらない1日」なんですよね。その日常を朝から夜まで。そしたら「おはよう、こんにちは、おやすみ」って。そこからどんな世界観を広げられるのかなって。

hachi
説明っていうよりは情景で引っ張れると良いなと。サビの、同じメロディーの繰り返しのところは、風景がポンポンと浮かぶように言葉を乗せて行こうって。

mica
なんか、おはようのコーヒー、おはようの味噌汁って世界観変わるじゃないですか。だけど、私たちはそれぞれの人が持っている世界観を限定したくないと。

hachi
五感で感じられる言葉を選んでいたと思いますね。

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育ちゆく音楽と私

岩田
おもしろい振り返り。作品ってそれを何度も見返したり聞いたりすることで、「自分のものになっていく」ようなところがありますよね。同じ曲でも、今聴くと以前と何かが違う。その人の体内に入って成熟していく、作品自体は変わらないけど発酵が進むみたいなことはすごくあると思っています。結果的に変わっていくのは、人の方なのかもしれないですね。

古橋
作品の内在化ですか?

岩田
ええ。私がおもしろいなと思ったのは、今回のように制作のプロセスを聞かせていただくことでその味わい方が変わるし、またそれがもたらす効果も人それぞれ変化する。つまり、作品というのは、作った人の手を離れて、それを受け取った人の中でもまた育まれるものだなぁと。

古橋
なるほど

岩田
また、さらに言えば、受け取る人のフィルターといか、状況?例えば、今はコロナで「新しい日常」って言われていますが、そういうことで、振り返ってみると以前と同じことでも人の感じ方って随分変わっていくものだとも思います。

古橋
関係性や時代も変わる。

岩田
だから、お二人もそれを作った時と、それを聴き直した時と、またこれをライブで歌うとか、誰かのどこかに向かって歌うって時に、どんな変化が起こったりするのかっていうのは楽しみだろうし、ぜひ生演奏を聴かせて欲しいです。

hachi
私も曲は人と共に成長するって思っています。作った曲が、経験を積んだり学んだりした時に、歌詞は変わっていないけれど、意味合いあいがグッと深まったと感じた瞬間を何回か経験しています。作詞作曲をしている方は、同じようなことを経験されていると思います。


mica
曲が成長していくと共に、自分との距離も離れていくというか、近い存在なんだと思うんですけど、例えば何回か舞台を踏んだり、誰かのために演奏したり、私自身も、その曲自体も変わっていくのかなぁって今思いました。だから、その時々でアレンジを変えたりとか、なんかいつものテンポより遅くしてみたいとか、今回は少し速いと面白いかもとか、そんな風になんか生き物みたいな、なんか人と人との関係みたいな。すごく近くなったり、遠くっていうとなんか寂しいんですけど、マイナスな意味じゃなくてなんか安心感だったりとか、俯瞰したりだとか、そういうのありますよね。

岩田
面白いですね、生みの親ですもんね、お二人は。

古橋
うたは生まれるし、育っていくんですね。

mica
おそらくですが、その時のその人のフォーカスによって聴こえ方って変わるんだろうなぁと。郷愁ってことの根っこにあるのは、自分が家族のことを思い出す気持ち。自分の窓というか…。例えば、今のわたしは、この曲の「1日の流れ」みたいなところからは少し離れていて、自分がピックアップする言葉はなんだろう?って考えてみると「探したり壊したりする積木のよう」っていうフレーズがあるんですけど、今は自分がどうしたらいいんだろうってもがく日々があるじゃないですか。たわいない会話とか、当たり前に日々の中にあったものってところにはフォーカスしきれないでいる。本当に探したり壊したりいるっていうところに私の窓が開いているなって感じてます。

hachi
冒頭に話したズレの話ですが、コンピューターを使えば、クオンタイズという機能で簡単にズレた音のタイミングを直すことはできるんですが、今回は本当にそういうことをしていなくて。歌もズレているところ、本当にいっぱいあるんですけど、全然気にしなかったんです。最後のラララ〜ってコーラスなんて、私凄いズレてるんですよ(笑)。でも、ズレているけどすごくいいテイクだったんですよ。

mica
優しくてね。

hachi
うん。なんというか、これタイミングあってないけど、好きだなぁって。ただそれだけ…。ニュアンスとか温かさみたいなものにフィーチャリングしてたんだぁって。ズレていることを気にしなかった自分を思い出しました。レコーディングの時に、自分がどう歌ったのかという記憶って体に残ってるんで、音を聴くと思い出すんですよ。

了徳寺
なんて言うんだろう?今って、リモートとかでズレることを活かさないといけない。仮にですけど、異業種であっても居合わせて呼吸さえ合わせればズレることなく演奏できた今までが今後戻らないとしたら、ズレを今よりも容認する時代が来るかもしれなくて。その未来から見ると、この過渡期って凄い貴重です。

古橋
今は過渡期?

了徳寺
はい。逆に、自分たちって、演奏がピッタリあってた時代の最後の生き残りになるかもしれないとか思いました(笑)。合わせるところを合わせつつ、ズレも受け入れる音楽家のスタイルは、これまでの時代を踏襲しつつも新しいことを受け入れるっていう現代社会の姿そのものだと思いました。

mica
確かに。今まで聴いて来た人たちが気持ち悪くなるようなところは、絶対にズラして無いんです。ただ、自分たちの中で生まれたズレみたいなものはザクザクあって、にも関わらず、そこにフォーカスしてなかったって言うhachiさんの発言もありましたが、私も全く同じ意見なんです。わたし確か「クオンタイズをかけてますか?」ってhachiさんに確認してて、「今回は全然かけてない」「だよねって」。でも、確認したのはその一回だけ。多分クリックは、テンポも決まってるんで聴いてるんです。だから(タイミングは)とっているんですけど、それはもう本当に体内での、鼓動でしかなくて、この拍の感じ方ってもう人それぞれ違うと思うんで。

了徳寺
これからの新感覚を作り出すって言う意味では、具体的に言えば4/4じゃないとか、何かしらズレてくるのさえも、これからの音楽の在り方として示していけたらいいですよね。

mica
ズレのプレゼンテーションみたいな。

了徳寺
mica+hachiさんは、お互いの空気感とか鼓動とかをしっかり共有してて、(にも関わらずズレることを良しとし、それを)プロデュース側が止めないと言う稀な環境も整っている。何か新しいものが生まれそうな予感がします。

hachi
今回は、そもそも距離のズレがあったからこそ今回のような試みが始まっているような気がするんです。

岩田
コロナ自体がズレや距離と向き合うという機会を与えてくれた。

mica
全てがズレてきてますよね。政府と私たちもだし、何なら家族の中でさえもズレは生じるし。本当に大変な日々…。でも、もともとはそんな大きなテーマで書いた曲ではないんですが(笑)。

                        次回へつづく。

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追記:このインタビューは、関連記事第1回「はじまりのオトケシキ」以前に行われました。


プロフィール

mica+hachi/ミカハチ
mica bandoと長谷川久美子による、アンサンブルユニット。主に鍵盤楽器と声を用いる。音が作る空間、「まち」と「ひと」の繋がり、その瞬間に生まれる音楽を大切にするコンサート「オトケシキ 」を筆頭に、日本各地でコンサートやワークショップを行っている。

坂東美佳/mica bando
愛知県生まれ、東京都在住。
鍵盤楽器と声を用いてパフォーマンスや楽曲制作を行っている。2019-2020年六甲ミーツアート「ザ・ナイトミュージアム」、越後妻有「Gift for Frozen Village/ 雪花火」、2018年山口ゆめ花博「KiraraRing」「夢のたね」髙橋匡太作品音楽担当、2014-2018年パフォーマンスプロジェクト「SLOW MOVEMENT」他音楽担当、2018年オリジナルアルバム「Anonymoth」発表。東京芸術大学音楽学部ピアノ科・バークリー音楽院シンセサイズ科卒業。


長谷川久美子/Kumiko Hasegawa
東京都在住。
ピアノの遊び弾きから自然と作曲をはじめる。東京音楽大学作曲科 映画・放送音楽コース卒業。ピアノ連弾ユニットHands two Handsとして活動後、映画やCM音楽の作曲、アーティストへの楽曲提供やアレンジなどを手がけながら、池田綾子、松本英子、手嶌葵らのピアノサポートをつとめる。幅広い音楽活動の中、あらためて自身の音楽の原風景に立ち返り、2019年、1st.ソロアルバム「花を摘む」をリリース。


岩田彩子/Ayako Iwata
愛知県在住。
アッセンブリッジ・ナゴヤの音楽部門ディレクターを2017年より務める。生涯学習としての音楽のあり方や、演奏家の社会的繋がりに関心を持ち、コンサート企画や、音楽教育に携わる。

了徳寺佳祐/Keiske Ryotokuji
愛知県在住。
アッセンブリッジ・ナゴヤの音楽アシスタントとして2018年より制作勤務に就く。長久手市文化の家創造スタッフとして作曲・ピアノの業務にあたる。

古橋敬一/Keiichi Furuhashi
愛知県在住。
港まちづくり協議会事務局次長。学部時代にアラスカへ留学。アラスカ先住民族の文化再生運動に触れ大きな影響を受ける。帰国後、大学院へ進学すると共に、商店街の活性化まちづくり、愛知万博におけるNGO/NPO出展プロジェクト、国内および東南アジアをフィールドにするワークキャンプのコーディネーター等の多岐にわたる活動に従事。多忙かつ充実した青春時代を過ごす。人と社会とその関係に関心がある。2008年より港まちづくり協議会事務局次長として、名古屋市港区西築地エリアのまちづくり活動を推進している。


アッセンブリッジ・ナゴヤ 



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