見出し画像

唾棄されるべき都内大学生の文章。

世の中でひそかな話題を集めているという「note」なるものを、僕も始めてみる。目の前には真っ白な液晶画面。まさしく白地のノート。何かで埋めなければならないという強迫観念に駆られ、キーボードに手を置いた。

本来なら、こんな場所に僕はいるべきではない。卒業論文の提出が来週に迫った、都内の大学に通う文系学生だ。提出目安となる文字数まで、あと2000文字。力を出せば1日で書けそうな文量を書きだす気持ちに何故かなれず、卒論のテーマとは関係のない本や漫画ばかり読んで気付けば夕日を眺めている。

そんな怠惰な僕だが、苦心の末なんとか就活は終わっている。とある印刷会社にて営業を任されることとなった。印刷業界を選んだ理由はただ1点、「印刷物が好き」だからだ。今思えば些か幼稚な気もする。ましてや、印刷業界の現状を考えればなおさらだ。自分が好んでいるものが、ペーパーレス化という当然の流れのもとに、世の中から急速に失われている。今「ノート」という名のバーチャル空間に身を置いている時点で、紙は情報媒体として画面に取って代わられつつあるのだ。

今日は(アップする頃には昨日だろうが)、お昼過ぎに起床しダラダラしたあと、3時ごろに洗濯物をコインランドリーにぶち込み、その合間にマックでハンバーガーを2個胃にぶち込み、濡れた洗濯物を乾燥機にぶち込んで、Youtubeで動画を目から脳にぶち込んでいた。書き出してみると、「ダメ大学生の模範」といった矛盾した表現がキレイにハマる。

Youtubeにて見ていたのは、1998年に営業を停止した山一證券と北海道拓殖銀行の報道。自分が生まれて間もないころ、日本経済がどん底に沈んでいたのを象徴するできごとだった。銀行に貼り出される沢山のポスター。受付の後ろには書類などが並ぶ。手続きも現在より多く紙に頼っていたことだろう。少なくとも印刷業界にとってはまだ明るかった世の中かも。

この頃から日本は変わったのだろうか。それは分からない。科学技術などは着実に進歩してきた。だが、世の中はどうだろう。結局僕たちの生きてきた平成は、そのほとんどが「失われた30年」という不憫な言葉で括られることとなった。その中間地点付近で生まれ、生きてきた僕。少なくとも、何かが失われたと感じて生きてはこなかった。きっと最初から持っていなかったのだから。

話が大きくなってしまった。このnoteという真っ白な大海原にいると、行き先がとめどなくなってしまう。きっとこのまとまりのない思考回路が、卒論の着地点を迷う素因だろう。noteに本来あるべきクリエイティブな思考も全然できてないし。サーバーの容量を食うだけの文章になっている。ごめんなさい運営者様。

印刷物が好きな理由とか、これからの印刷物のこととか、趣味とライフワークの話とか、書きたいことはいっぱいあるけれど、ネタは大量消費すると飽きが早いので小出しにする。

最後に、都会で自分のつま先を見つめる年齢・性別不詳の人に自分を重ねたヘッダー写真を設定して終わりにしたい。

気付けば1000文字を超えている。卒論もこんなペースで書ければ瞬殺なのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?