ババア☆レッスン(その14・母の一周忌&まだ生きてる父、確か84歳)
2022年の12月末に、母が急死した。
なので本来ならば一周忌は、2023年の、まだ雪が降り積もらない時期に終えるべきだった(東北・山の上にある墓場は雪に埋もれると、お参り不可能)。
しかし、実際執り行われたのは、その翌年の2024年8月10日。
随分と伸びに伸びたもんである。原因は、私が単行本の作業で、どうにもこうにも身動きが取れなかった、というのもあるが、あとは一人残された父。
親戚の叔母さん曰く「ぜんぜんやる気がない」との事であった。これが一番の元凶と見てる。
(冒頭の弁当写真は、今回の行きの新幹線で食うために作ったやつ。パンは東京駅で購入。本当はワインを飲みたかったのだが、新幹線内でそこまでするのもどうかと思って、ハイボールで我慢した。ちなみに隣の座席の女性、なかなか恰幅のいい方だったのだがその方、弁当食った後、即、昼寝。イビキが凄く、途中で呼吸が止まる・・・かなり心配になった・笑)
さて。
「嫁に先立たれた亭主のその後→無残説」は、うちの実家に限って言えば、まさにピタリと当てはまってる。
母の葬式を終えてから、父は転がる石のごとく、急速にボケた。
霞が関で働いて、桜を見る会にも参加したようなヒトだった。
しかし、そういう人でも嫁がいなくなったら、即ボケた。
しかもそのボケ方というのが、身内が一番嫌がるであろう「暴言吐く系」のボケ方。とにかく親戚や私、弟に、ひどい言葉を浴びせかけてくる。
電話で散々、バカだの何だのお前は全然才能が無いだの言ってきて、こちらも怒鳴り返すと、いきなりのガチャ切り。
「2度と家に帰ってくるな!!」と、実家出禁を何度くらった事か。
脚がそれなりに悪くなってるし、病院に一人で行く事も出来ないので、ケアマネさんや親戚と一緒になって、施設入居も勧めた。
しかし「何でも一人で出来る!!」と(いや、全然出来てない)とにかく机を叩いて怒鳴り散らすばかりで、全く聞く耳を持たない。
なので、こんな状態が延々と続けば「お母さん、はよ、あのクソジジイをあの世に連れてってくれ!!」と懇願するのも当然である。
しかし先に逝った母からすれば「・・・え〜〜、ヤだ、またアレと一緒になるの?」って思ってそうなので、無理強いはしません(これで普段からの父がどんな奴か、お察し下さい)。
もし、こんな父でも死んだら私、一応葬式で泣くのだろうか?
まぁ、葬式のバタバタや、残された家、お金に関するめんどくさい事の山積みで、泣く暇もない気がする(今から考えたくない・・・・)。
実は母の存命中、父は今まで2〜3回ぶっ倒れて、病院に救急搬送されたりもしている。
コロナ渦に倒れた時は医者に、「大変危険」と宣告されたりもした。
それでこちらも「もしかして・・・もしかしたら・・・・!?」と、勝手に心の中でカウントダウンを始めていたら、「医者もびっくりするくらいの奇跡的な回復力だって!!」と、伯母から全然嬉しくない連絡をもらって・・・・・・無言になった事もある。
そんな私を見かねて、うちの父と似たタイプの父親を看取った友人が、
「大丈夫!!そのうち絶対死ぬから!!」と、力強く慰めてくれた(今思えば、凄い慰めの言葉である)。ちなみに、この友人のお母様は、現在90歳で元気ピンピン、多趣味で楽しく過ごされてるらしい。
そんなわけで、一周忌。
10ヶ月ぶりくらいの帰省。この間も、何度か実家出禁を言い渡されていたが「amazonで焼酎注文して送っといたから」と電話すると、出禁の事などケロッと忘れるので、今回もそのやり方で黙らせておいた。
そして、久しぶりに見た父。びっくりした。ものすごく老人と化していた。いや、80過ぎてるんだから当然老人なんだけど。萎びた感が凄い。
7月中にベッドから落ちて、あばらにヒビが入り、相当難儀した事もでかかったようである。動くと痛いからソファーに座ったまんまでいたら、脚腰もまた弱くなったようだ(これでさらにボケが加速するパターンか)。
とりあえず、荷物を置いて家の外でタバコを吸った。
それで気がついたのだが、家の庭が雑草で凄い事になっている。
私の身長くらいあるんじゃないかという高さの雑草が、家を侵食しようとしてる。
よく「ツタの絡まる家は、風水的に見て縁起が悪い」と言われるが、思わずそれを思い出してしまった。うちの父、この、はびこりまくる雑草に、エネルギー吸い取られてるんじゃないの?てか、エネルギー弱くなってるから雑草が強くなってるんじゃないの・・・?
薄暗がりに猛威を振るう雑草を見て、「怖い」と思った。
そして、自分の頭のから、「ある感情」がスポ〜〜〜ンと抜けた。
もう父と争う気が失せてしまったのである。
あんな、あからさまに枯れて萎びたジジイと争って何になるのか。
父と、酒を飲みながら会話した後、疲れてたので、その日はもうすぐに寝た。実家に帰省した時、いつも私は仏間に座布団を適当に並べて寝る。
そしてその時必ず、仏壇に飾ってある葉書サイズの「伯父(父の兄)の写真」を取り出して、それを抱きしめて寝る。そうすると、何故かいつもとても安心するのだ。すごく気持ちがしんどい時は、写真を抱きしめて、泣きながら寝た事もあった。そして今回は。
「あれ・・・?もしかして恥ずかしがってる?」
写真を抱きしめて横になった時、何故かふとそう思った。
その夜の事である。深夜、だろうか。
ズリズリと何かが這いずる音がする。それと共に「うぅぅぅ・・・・うぅぅぅ・・・」という、男の呻り声。そのうち「ビチャ・・・ビチャ・・」という水音まで聞こえてきたので、一瞬、霊でも出たかと思ったら、なんて事はない、親父が風呂場でお湯を浴びてるらしいのだった。
翌日、朝起きてすぐに、母が大事にしてたポトスを一部剪定して、水を入れたコップにうつし、移動中水漏れしないようビニール袋に入れた。自宅に戻ったら水耕栽培で根をはらせ、植え替える予定である。
そしてその後、午前9時に寺、集合。父は歩くのがしんどい、と言うので欠席。親戚の車に乗せてもらい現地に赴いた。
ずっと「やらなきゃ、やらなきゃ」と思ってた母の一周忌をなんとか、つつがなく終える事ができてホッとした。
夏の墓場。暑い。空が青い、雲が白い。子供の頃から見てきた樹木、風景。今も何も変わらない、そのまんま。
ご先祖様、私、55歳になっちゃったよ。
その後、帰りの新幹線の時間までまだ時間があったので、伯母(父の姉)の家で休憩させてもらう事になった。
現在一人暮らしの叔母、90近いけど、家の中、とてもキレイで、相変わらず愉快な人だ。
「マリエちゃん、ちょっと飲んでくか?」と、時刻はまだ11時前なのに缶チューハイを出してくれた。他にも味玉やらメンチカツや漬物。朝から何も食べてなかったので、美味さが心と胃袋に沁みた(結局、昼前から3本飲んだ・笑)。
伯母曰く「ヘルパーさんに聞いてみたんだけど、『ああいう人も、かなりめずらしい』って」・・・・・父、ヘルパーさん達から見ても、相当やっかいな老人のようである。
伯母とこんなふうに二人で話し込むなんて、多分初めてだったんじゃないか。父や伯母以外の、もう亡くなった、他のきょうだいの話も色々聞く事が出来た。父と伯母の、兄(例の写真の人)と姉、弟二人はもう亡くなってる(妹さんは健在)。
そして話は、その「兄」の事になった。私が帰省するたびに抱きしめて寝る、あの写真の人。
「あの人ねぇ、なんか私、マリエちゃんについててくれてると思うんだよね〜」と、おもむろに伯母が言う。
「あの伯父さん、何歳で亡くなったの?」
「17歳」
・・・そっか、だからか〜、と、なんとなく合点がいった。
その「写真」は、丸刈りで学生服を着た少年の、古いモノクロ写真。
若くして病気で死んだ、というのは子供の頃から聞かされてたけど、何歳で死んだかは、この時まで知らなかった、17歳か。
「だったらそうだよねぇ」と思った。
昨晩、ふと「恥ずかしがってる?」と突然思ったのは、そういう事か。
そりゃ、オッパイにギュ〜〜っとされたら恥ずかしいよねぇ。
というわけで、伯父さん!!
伯父さんが生きてた頃って、日本が暗くてしんどい時代だったと思うけど、昭和の次の、へーセーってこんなよ!でも、私もこんな青春、全然歩んでないんだけど(笑)一緒に聴いてね!!
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