『朽ちないサクラ』/アップデートして然るべき問題(映画感想文)
ストーカー殺人が起こる。被害女性は所轄署へ相談し被害届も出していたが受理が遅れていた。もっとはやくに警察が対応していれば、と批判の声が上がるなか受理の遅延理由が署の慰安旅行だったこと、その事実を署は隠そうとしていたことがあかるみにでる。ある新聞社がすっぱ抜いたのだ。
警察の杜撰な対応と隠蔽を非難するクレーム電話が警察本部広報広聴課にひっきりなしに入ってくるところから、『朽ちないサクラ』(24)は始まる。
広報課に勤める主人公・森口泉は警官ではなく警察職員で、捜査の権限はない。広報課の課長は富樫。おおっぴらに口にされることはないが、陰で誰もが「いったいどこから慰安旅行の件が漏れたのか」を囁き合い疑心暗鬼になっている。当該署には、リークしたのではないかと疑われている刑事がいて署内の人間関係もぎくしゃくしている。
広報課の一職員である泉の胸中は穏やかではない。実は、学生時代からの親友である千佳に、所轄署が慰安旅行であったことを、つい口を滑らせ教えてしまったのは泉なのだ。
そして千佳は、その事実をスッパ抜いた新聞社に勤める記者だった、…。
込み入った状況を一気にみせて観客を物語に引っ張り込む。脚本を手掛けたのは我人祥太と、山田能龍の二人。我人はピン芸人、山田は演劇畑の人間である。
監督の原廣利も上手い。
物語はさらにここから次の事件、次の事件へと繋がっていくが、特に冒頭、原が発揮した演出への集中力とコントラストの利いた印象的な画作りは圧巻である。
『あんのこと』(24)は誰が出演しているのかも知らずに観たのだが(佐藤二郎も稲垣吾郎も知らずに)『朽ちないサクラ』はその反対。出演している役者に惹かれて観に行った。
『市子』(23)で圧倒的な演技をみせた杉咲花が次にどんな芝居を見せるのか、といった興味もさることながら、実は僕は子どもの頃から豊原功補の隠れファンなのだ。きっかけはCXでやっていた「木曜ドラマストリート」の『桃尻娘』(86)。ここで彼は、原作ではほとんど目立たない榊原玲奈の元カレ大西くんを演じている。ちょっとカッコつけで、でもそれが決まらない思春期の男子学生役がとてもよかった(監督は中原俊、脚本は斎藤博なのでその演出もある)。
その豊原功補が、捜査側のプロ梶山。その梶山の親友で、泉の上司である広報課長を演じるのが安田顕。このオッサン二人に、何の権限もない華奢な女性職員という組み合わせがめちゃくちゃ刺さる。もうひとり、泉の協力者として登場する磯川刑事を演じるのは萩原利久だが、彼のふんわりとした消極的な印象を与える芝居も、三人を引き立てるためだとすればなかなかの達者である。
社会派の題材、二転三転するプロット、そして役者たちの芝居、と犯罪を扱ったエンタメ作品としても骨太で、明快。いうことはないが、ひとつだけ気になったことがある。映画単体にではなく、作り手全般に対してふと考えたことだが多分共感してもらえると思う。
劇中、過激な教義を持つ宗教集団が登場する。その教団は過去にテロ事件を起こしている、…とくれば誰もが実際に起こった事件、そして実在した教団を思い浮かべるだろう。
映画のなかでの描かれ方はそっくりだ。
これまでもTVドラマや映画で何度も凶悪な思想を持つ宗教集団は描かれてきているが、常にあの実在の教団に似ている。なぜなのか。もしくは、子どもの頃に見た特撮ヒーロー番組に登場する悪の結社のアジトに酷似しているか。だがそろそろ他の新しい(実在した教団と似ていない)「ドラマのなかの宗教集団」像というものが出てきてもいいと思うのだが。
実在したその教団を庇う意図でこんなことをいっているのではもちろん、ない。ただ徹底したリアリズムで描かれてきた作品に突然、お決まりの装束に既視感のある建物に立てこもる信者たちが登場すると、そこまで作り手たちが苦心と工夫を重ねて作り上げてきた重厚で精緻なドラマが、急に「借り物」っぽく思われてくるのだ、…。
あの事件から30年近くを経て、以降新たなテロ集団像というのがわれわれの日常を浸食していないのは、当然喜ぶべきことだ。だが作り手は、もっと自由に、イメージをはたらかせてもいいのでは?
小説であれ映画であれ、カルトをひとつの題材として作中に取り込むことは否定しない。だが、その有り様や見た目までをいまだにあの事件から借りてくるのは、どうなのか。凶悪な宗教集団の新たなスタイルや様式を創造するというのはけっして気持ちのいい作業ではないにしても、…。
タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に登場したマンソンファミリーの隠れ家は、これも実在の事件、実在した人たちが実際にアジトとした場所を再現しているとはいえ、日本人である僕にとっては新鮮で、そして恐ろしいイメージの狂信者たちのねじろだった。
奇妙なリクエストであるのは判っている。だが作品を生み出す側の自戒としても思うのだが、そろそろわれわれは新たなカルト集団の描き方を見つける必要がある。事件から数十年を経てアップデートされないままのイメージを用いるのは、現実のパロディのようではないか、…。
話を演出に少しだけもどすと、杉咲花演じる泉の前髪および眉についての演出は、監督のねらいが多分にあったと思うが、大変成功している。それまでは消極的だった泉が、ある瞬間、ふっきって覚悟を決めたときにそれが現れる。
計算高い監督と、それに応える役者、…が楽しめる良作であります。
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