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例えば、
横浜STスポットでスペースノットブランクの『本人たち』を観る。
と書いて、この日記が始まる。

一昨日の話の続きをしようと思うが、
散文の配置に作者の意図が関わること、
それは、この日記においてもそうだ。
「一日」という、あまりにもスカスカした散文性に対し、
何らかの拠って立つところ、
例えば、
その日を”象徴”するような出来事、その日みた本や映画や演劇、その日考えた抽象的なこと、からアプローチしていって、
文章に、何らかのまとまりを発生させる、
あるいは、
出来事と出来事、夢と行動、思考と出来事、の羅列を行い、それらの間の、自分でもわからない連関、のようなもの、を生み出している様にする。
なぜかというと、
みなさんも実感されている通り、ある一日を、別のある一日と区別することは困難極まることだ。
「現在」については特にそうで、あるまとまりを持った「過去」にならないと、「今」のこの意味を理解することは難しい。
だから例えば、
数学の板書の話をした日の文章の感じは、他の日の日記とは異なるものになっていると思う。
僕は過去の数学の日々を、ある程度パッケージングして、価値づけしてお話しすることができる。現在見た夢からアプローチして、意味のわかるところのお話に到達し、とりあえずお話しできるようになる。
そういう意味でいうと、「今日」みた本や映画や演劇も、あるまとまりを持った「過去」と言うことができる。

「現在」については厄介極まりない。
そのため、僕は、上記のようなアプローチを採る。
そのような書き方をして、僕は何をしようとしているのか。
もちろん、何かを伝える、為である。


スペースノットブランクの『本人たち』は2部構成になっていて
1部が『共有するビヘイビア』という、1人(と0.5人)芝居。
2部が『また会いましょう』という、2人(と0.5人)芝居。
0.5人というのは作中でそう言われているから書いているが、上演中、客席には見えないようにモニターが設置されており、そこのモニターから機械音声が発せられ、その「人物」のことを0.5人とカウントしている。
それぞれ別々のクリエイション過程を経て生まれたものを、今回『本人たち』としてまとめているようだった。

1部、2部両方とも、DeepLを使って翻訳された戯曲の英語字幕がプロジェクターで投影されており、誤訳もそのままになっていて、役者の言葉に先行して投影されている。
また、戯曲に関してもクリエイションの過程で本人たちが話した言葉を音声自動入力を用いて文字に書き起こしており、その際の誤入力もそのままの形で残してある。

それでこの芝居は、1部でもメタ的に解説されていることだが、
《何かを誰かに「伝える」際に起こっていること、それ自体》
を対象化し、演劇にした作品と、とりあえずは言うことができる。

1部は、1人の人物が開演前から上演中、休憩時間に至るまで、客席に向かって喋り続ける。観客が例えば物を床に落とすと、表情、視線、セリフの淀み、などで機敏に反応し、こちらにコンタクトしているのが分かる。念力暗転と言って、観客の瞼を下ろそうとしてきたり、観客とじゃんけんをおこなって、勝ったらマスクを外し、負けたら外さない、両方のパターンが用意されている。
その際にもセリフの英語字幕は投影され続け、例えば、「最近だとすべてのセリフに字幕をつけている 話している人が今から話すことを既に意識してその字幕に合わせて喋る 喋ることに字幕を合わせる どっちが正しいんだろう てな具合にリンクして喋る」というセリフも、翻訳されて投影されている。
だから僕らは、これが今目の前の人から話しかけられているようなのに、そのセリフは前もって用意されていることを意識し続ける羽目になるので、今目の前の人は本当に自分に向かって話しかけているのか、分からなくなる。
が、それはこの演劇だけではなく、全ての演劇において、そういう倒錯が起こっているのだ、ということを、問題にしている。
音声自動入力の問題もある。登場人物が会場であるSTスポットの嘘の沿革を説明していく件があるのだが、音声入力の誤入力をそのままにして読んでいるのでSTスポットがSPスポットになったり、SDスポットになったりする。それらのズレの意味を、やっぱり観客なので、探そうとして集中して聴いちゃうんだけど、それは単に誤入力の結果だということが、クリエイションの過程を後で読んでから分かった。
このように、演劇を観ること、何かを伝えられることの、わけのわからなさを、他にもたくさんのアプローチから、説明、していく、それ自体もまた説明していくのが1部だった。

1部は、演者と観客(あとは戯曲)の関係性が問題だったが、2部では2人の登場人物の関係性を我々がみる、という構成になっていて、さながら1部の実践編みたいな感じだった。
が、2部で起こっていることがあまりに複雑すぎて、今の僕には言語化できそうにない。ので、いつかわかるのを待つことにする。


この日も雨で、遅く起きて、麻婆茄子を作り、交番に行って自転車の盗難届を出した。
3人の警官から聴取を受け、僕は最後に自転車を見たのがいつかを思い出そうとし、知らない記憶を、話した。
その後夕飯は麻婆茄子の続きを食べて、横浜に向かい芝居を見て帰ったら23:00くらいになっていて、明日は6:00の新幹線で富山に行く用事があるので、日記は書かずに眠った。

そして今、これが新幹線の中で、長野県に入ったところで、思い出したことを書いた。







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