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ジーーーーーーーーーーーーーーーーー
という音がずっと鳴っていて、気になっていて、エアコンのフィルターが反響している音かと思ったが、窓を開けると増幅するそれは、虫の声だと気づき、それだったら気にする必要がないのか、もっと気にするべきことになるのか、分からず、その虫の姿は見えず、窓を叩いて驚かせようと思っても止まず、さっき、急に聞こえなくなった。

夕暮れが終わるのを待つ間に、ジッドの『田園交響楽』を読み終え、すぐにAmazonでジッドの新潮文庫で出ているやつを全て注文する。
そして夕飯を食べに外に出る。今日は外食で済ますことにしていた。

この寮、この病院があるこの丘にはあと、ガソリンスタンドと、はま寿司と、坂を下っていく直前にある、知らない和食の店しかない。
知らない和食の店は、今調べたら千葉県内にしかないチェーン店らしく、駅前からは無料送迎のマイクロバスが出ている。地元の人たちがお祝い事をする場所として、昔からあったようだ。だから、値段設定がロイヤルホストなどと一緒で、千葉雅也のことを思い出す。
店内に入ると、まず床がべとついている。おじいさんの板前さんが出てきて、うん、板前さんと書くべきだ、何名様ですか?と聞かれ、1人ですと答える。テーブル席が3つくらいあって、あとは個室も何個かある。案内されたテーブル席の奥には、座敷のような空間があって、一番手前の、LEDのダウンライトしかついていなくて妙に明るく、奥の方は暗くて見えないが襖が、並んでいる。
メニューを見るとどれも1430円くらいする。天ぷらとうどんとそばのセットがあって、それが一番安い。ステーキやハンバーグ、寿司のセット、すき焼きなどがあり、その節操のなさは昨日行ったスーパー銭湯の休憩所に似ている。ここは、すし・創作料理の店と謳っている。

もう、座ってしまったから何でもいいやと思って、すき焼きのセットを頼み、ご飯を大盛りにしてもらう。

僕の前のテーブルには老父婦が座っていて、お誕生日セットというのが運ばれている。寿司にお重がいくつかつく。お重の上に、ステーキ用の生肉が乗った皿を乗せようとするが、お重の小鉢が引っかかって、完全にはハマり切らない。が、そのまま置いていく。コンロの火をつけるためのチャッカマンを取りに戻らなければいけないからだ。
チャッカマンを持ってきた手で、今度は僕の頼んだすき焼きセットが運ばれてくる。テーブルに置くと、ご飯、もっとちゃんと大盛りにしてきますね、と言ってご飯茶碗を持って行ってしまった。鍋には木の蓋がはめ込んであって、開けるとすき焼きの割下がかなりの分量入って黒々としている。肉は、イタリアンバルでチーズや生ハムなどの前菜を頼んだ時に出てくるような木のカッティングボートに乗せられていて、スーパーの豚バラの薄切りような厚さとサシの、牛肉が10枚ほど乗っている。あとは椎茸一個と白菜、糸蒟蒻一個とエノキ、豆腐一個と水菜が水菜が端に乗っていて、どれも水気が切られていない。味は、すき焼きで、エノキと牛肉を卵に絡めて食うと、あの美味さが出る。

外に出ると満月で、今日は朝から風が強い。朝は車に細かい雨滴がびっしりついていた。日本地図の、日本海側の地形のような雲が凄まじいスピードで満月にかすって通り過ぎていく。
谷を越え、山を越えた先のコンビニに向かって歩いていく。
急に、5年生はとても楽で時間があるのではないかと気付く。元同期の友達もそう言っていたのだが、今になってその意味が本当にわかる。今年が、人生にとって、かなり大事な、ゆっくりできる期間であることを。

この一週間、実習に少しだけ顔を出し、あとは本を読むか、医学の勉強をしている。寮の周りには、これらしかなく、禁欲的ですらある。
週末だけ東京に帰り、彼女に会う。単身赴任みたいだ。
23:00から、声が隣の部屋に聞こえるので、外に出て彼女と30分から1時間ほど電話する。
彼女は凄まじい速さで本を読む人で、その感想を毎日聞く。
こういう生活はまるでジッドの小説に出てくるカップルのようで、地に足がつかないような変な気持ちになったりするが、無理はないので、違うのだろう。ジッドのカップルは破綻するほどにストイックだし、僕らには信仰がない。
いずれにせよヘンテコで、変に、自足している。
2月に書いた脚本が、自分の中で少し満足のいくものだったので、あれ以来、ボーっとしているせいでもあるだろう。
オマケみたいな感じで日々が続くが、これも本番なのだった。
日記に書くことを探しているようで、探していない。書こうと思えば、いくらでも書くことができる。


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