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久しぶりの。

今日からちゃんとしよう。そう言って例のごとく、3日坊主に終わってしまう。衣食住以外で唯一続けられているものといえば、飲酒と恋愛することだけ。他のことは散々で掃除も洗濯も家事全般がすべて中途半端に展開されてすべて勝手に進んで行ってしまっている。自分だけ進んでいる時間の速さに取り残されてしまっているようなそんな毎日だった。しかし、ここ最近思う。もうそろそろ普通のちゃんとした生活をしよう。それができるのならば。

そして今気づく。恋愛と飲酒が続けられたのは、2つが繋がり合っていただけであったのだと。お酒を飲むことで人と出会い、そこで出会った人たちに恋をする。そして人生に恋をするという刺激が与えられて、毎日が楽しくて次の日も生きることができる。だから私が唯一続けることができていたのは、人を好きになる。ただそれだけだったのかもしれない。そういった能力においては、とても恵まれているのだろう私は。よく周りの人で好きな人ができないと悩んでいる人もよく見かける。私にはそういったことはあまりない。私が好きな人ができる理由は、いくつか思い当たる点がある。

①自分のことが好きであること

②ポジティブであること

③ときめきの沸点が低く、範囲が広いこと

この3点であるように思う。

私の特徴は、この3点に集約されていると言っても過言ではない。ただし、全く好みのタイプにかすりもしない人については、興味関心が全くといってよいほどに無であり、大好きの反対が無関心であるように全く恋愛の対象から外れてしまうのである。とはいえ、好みのタイプの幅が広いのも私の特徴なのかもしれないので、難しいところである。

これからもこの恋愛という刺激を与え続けて、人生が進んでいくのだろう。楽しいことも嬉しい事も辛いことも悲しいことも全部味わえる魅力がここにあるから今日も私は、どこかの誰かに恋をして生きる。程度は違えど、誰かを好きになることは素敵なことで自分を愛することにもつながるのだと思う。人生最後の瞬間に誰を愛してこの世をされるのだろうかと漠然と考えに耽ってしまうこともある。いつかその答えが見つかってくれることを心から願い祈りながら、今日も誰かに連絡をとって、会って探し続ける。自分の生きる意味を、最後の瞬間に共に過ごしたいと思える素敵な相手を。だから、その他のことは、もしかしたら、ただの付属品なのかもしれない。私の憶測でしかないのだが。その答えが見つかったら、どんなに幸せなのだろうと思い描きながら、今日も私は、恋をする。どこかの誰かに。

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