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寂しさ朝

目を覚ました瞬間。どこから湧き上がってきたのか自分でもわからないような心の風穴を感じた。こんなにも心にぽっかりと隙間を感じたのは、いつぶりだろうか。久しぶりで懐かしいような感じたくなかった気持ち。胸が締め付けられる。

何か他のことで気を紛らわせていないと、空気の抜けた風船のようにしぼんでどこかへ飛んでいきそうなほどに脆く、儚いことを匂わせる。

今日で3年彼氏を作ってこなかったのは、この気持ちを味わいたくなかったからかもしれないと、今日になって実感している。自分というものが、空っぽに感じてしまう。連日、人に会い、優しさに触れすぎたのかもしれない。優しさや温もりに触れるたびに一人でいる時間を寂しく感じてしまうのは、まだまだ未熟なのかもしれない。

自分という存在が何者で誰かの何者かという存在に慣れているのなら自分の存在に意義があると感じてしまう。その考えからはなかなか逃れることができない。自分以外の何者かに自分の生きる意味を一任していることに等しいのかもしれないが、とはいえ、否定されたからと言って死にたいという結論にいたり、死を選択するほどの強さは、私にはないことだろう。

もしかしたら、この世からお別れをすることもある種の強さなのかもしれない。但し、私自身その選択は、できないのだが。なぜならば、ここまでの20数年という短い時間であるが、ありがたいことに生かされて生きていて、自分の身勝手な理由で支えてもらった人を裏切り、人生という試合終了の白旗を降るようなことは、私にはできないのである。だから、生きられなかった人のためにも自分の最大限の中生きていく。それだけなのである。人はいつか、いつになるかは不明だが、必ず幸せになる運命なのである。その運命というレールの上にある、幸せを回収する使命を全うするため、毎日を目を覚ましながら歩いていく。

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