塩月亮子「沖縄シャーマニズムの近代 感想

2014年1月19日

 塩月亮子「沖縄シャーマニズムの近代」読了。索引込みで462頁の読み応えのある本でした。


 結論部に書かれていることを簡単にまとめると、近代の特性として塩月さんは「1.一貫性 2.国家中心性 3.官僚制 4.この世性」をあげ、

それに対して沖縄のシャーマニズム復興運動が、
「1.非一貫性、超自我性、柔軟性 2.超国家性、反体制性、脱制度性、超地域性 3.民衆性 4.あの世性」を有したものとしている。

 近代が否定してきたものを取り戻す契機として積極的に評価しているように見える。
 
 しかし、僕としてはいくつかの点で、強引な論理の組立てを感じたので、メモしておきたい。
 
 まず1の非一貫性についてだが、これは言い方によっては解放的に聞こえるが、実は村落共同体の迷信性に束縛されるという側面にもつながっている。親鸞に言わせれば「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」と相成る。これを超えた解放は、何も近代の特性ではなく、偶像崇拝を否定したすべての超越性宗教が何千年も前から説いてきたところである。
 
 次に2.の超国家性、反体制性、脱制度性、超地域性についてであるが、一方で沖縄のシャーマニズムとアメリカ西海岸のネオ・シャーマニズムを比較する中で、塩崎自身が沖縄のシャーマニズムにおいてはローカリティが重要な点が、ネオ・シャーマニズムと異なると論じている。だから最後の超地域性は少なくとも(    )に入れなければならない。もちろんシャーマン(ユタ的なるもの)の中には、超地域性の強い思想を口にする人もいるのはわかる。しかし、よくも悪くも地域性に依拠し、さらに言えば民族性に誇りを持つという点に重きがあることが、沖縄のシャーマニズムとネオ・シャーマニズムの違いの一つだろう。
 塩月は別の部分ではそのことにも触れているわけなので、このまとめにはもう一工夫が必要だったのではないだろうか。つまり、地域性、民族の誇りを「通した」超国家性、反体制性、脱制度性というようなまとめがふさわしいのではないか、そこに積極的な意味をもたせることではないかと思われた。
 そしてもうひとつ重要なことは、その地域性を「日本の原郷」というノスタルジー的視点で読み替えたとき、瞬く間にヤマトのナショナリズムに取り込まれてしまう点であり、実際、沖縄へのノスタルジーをそのように利用しようとする右派は本土にうようよしている。

 3.の民衆性については、民衆の生(なま)の苦しみに寄り添うという意味において、積極的に評価されるべきだと思う。ただ、1.との関連から見て、それが真の解放につながるのか、因習への回帰や癒しマニア的な取り込まれ方につながるのかは、微妙な問題だと思う。

 4.のあの世性については、沖縄のシャーマニズムにおいて、あの世的なるもの後生(グソー)が、この世的なるものとの切断面の弱い、地続き的なものであるという点が、いわゆる世界宗教の徹底した超越性とは異なるという点について、よくも悪くも注意が必要だと思った。このことが2.の超国家性、反体制性、脱制度性、超地域性を不徹底にする可能性がある。

 私としては、沖縄の日本国家およびアメリカ国家および近代文明そのものへの抵抗力は、シャーマニズム単体から生まれるものではないと思う。しかしながら、書物の主題そのものが、沖縄のシャーマニズムが近代社会において有している意義の追求であるのだから、その可能性の数々に目配りする研究には、一定の意義があったと思う。

 そしてシャーマニズム復興運動が、民族の誇りの復興運動の一部である以上、その積極的側面への着目は重要な仕事であったと思う。少なくとも、沖縄にもあった司祭的なるもの(シャーマンに対するプリースト、具体的には沖縄ではノロ)に着目するよりは、民衆と共にあった、実際の変性意識を伴うシャーマン(具体的には沖縄ではユタ)に着目し、近代を撃つ視点をそこに探し、その現在の姿をも(フィールドワーク、文学作品、ネット上の動きなどあらゆる面から調査し)叙述したのは、この本のナイストライだったと思う。


付記 せーふぁーうたきについてのメモ

 これで書物全体への批評は終わった。が、せーふぁーうたきについての記述で気になったことがあったのでメモをしておきたい。

 p410「入口の石畳は雨の時は滑る。横に道を造ればよいが、この石畳も世界文化遺産なので、それもなかなかできない」

 同じくp410 (観光化による問題点をあげる中で)
⑥世界遺産に登録されたことによるバリアフリー化等の困難さ

 さて、重要なことは、世界遺産に指定される前、僕が初めて行った時には、この石畳はなかったという点だ。
 塩月の記述が正確だということを前提にするなら、後からつくった滑りやすい石畳を世界遺産に指定すること自体が、おかしい。あるがままの姿の保全を重視するなら、元の地道のままでよかっただろう。しかも、それなら、僕も片手を誰かに握ってもらい、片手に杖をつけばなんとか登れたはずである。
 つまり、世界遺産に指定され、余計な石畳を作ったことで、バリアフリー度は「下がった」という事実を押さえておかなければならない。
 石畳をつけたことによって、雨の日は「健常者」でも滑りやすくとても危なくなった。(二回目に行ったときに気づいた。)そのため入口には貸出用の杖が置いてある始末である。
 つまり石畳をつけたのは、設計ミスであり、失敗である。いったい誰の計画であり、誰が請け負ったのか。以前に南城市に質問状を出したことがあるが、返事はなかった。
 今回は行かなかった。もうあそこには二度と行く予定はない。


もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。