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臨死体験は脳内現象か

臨死体験は、蘇生したのだから、死の体験ではないという論難がある。

そのように論難したい人のキーポイントは、死んでないから、臨死体験は脳内現象であるというものである。

これに対しては、私は既にnoteの「箴言」マガジンにこう書いている。

「覚醒が脳神経パターンに限定されて身体に縛られる→生きる
 覚醒が脳神経パターンの制約を解脱する→死ぬ」

脳科学者のエベン・アレキザンダーは、蘇生後、自分が臨死体験していたときのMRI画像などから、自分があの世界を体験していたのは、脳の活動が停止しているときだったと語っている。(このシーンはNHKの「臨死体験」のパート2に映し出されている。自分のMRI画像を見ている、蘇生後のアレキザンダーの姿である。)

死の定義は難しいが、臨死体験において重要なのは、脳の停止時なのか、そうでないのかだ。

実際、医者が死を宣告したあとも、髪の毛や爪は伸びる。細胞レベルで生きている部分は生きている。
それでも、それは医学において、「死んでない」という判断基準にならない。

心肺停止し、脈がなく、瞳孔が散大していることを以て「ご臨終です」と宣告される。

この状態からの蘇生は長い人類の歴史においてきわめて稀であった。
しかし、今はAEDによって心拍が戻り、蘇生する率が各段に上がっている。

さて、心肺が停止し、血流が途絶え、酸素の供給が途絶えると、脳はその最後に、松果体から大量のDMTを分泌し、そのまま活動を停止する。

停止した直後の脳細胞の壊死から、しばらくの間、脳を守っているのは最後に大量に放出されたDMTである。

その間に体験しているのが、脳神経パターンから自由になった覚醒としての「臨死体験」である。

米国の『脳研究速報』126号には、このDMTが、脳細胞を保護し、「臨死体験を見せている」可能性が非常に高いと論述されている。
この場合の「臨死体験を見せている」を、「脳内で見せている」と取るか、脳細胞を保護している間に、「脳の外で見せている(それが可能になるようにその間の脳細胞の保護を援助している)」かについて、数多くの論証が後者を支持していると、私は考えている。


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