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韓国車椅子日記 2016

まだ旅行記は続きますが。
総じて言って、電動車椅子単独の海外旅行というのは、まあまあ珍しいものだったと思います。
時々、「ひとりですか? この電動車椅子で?」
と聞かれました。
確かに故障したら、たちまち立ち往生です。
パンクしただけでも、自転車屋さんを見つけるのが、動かない車椅子でひとりでは大変です。
実は一度激しく転倒して、額から出血、血が飛び散りました。
多くの手が車椅子を起こしてくれ、紙ナプキンを傷にあててくれました。
僕はほとんど無意識に「ケンチャナヨ」と言って、再び動きはじめましたが、
転倒の直前の記憶からありませんでした。
何度も危なくてセーフだったことはあるけど、
ついに本当に転倒したそのときは何が危なくて
なぜ転倒したのか、いくら考えても思い出せませんでした。
ただ
「自分は今、ひとりで韓国にいる。
地下鉄のどこの駅で降りてここへ遊びに来た。
地下鉄でどこの駅に行けば、自分の宿泊しているモーテルがある」
これだけを想い出すのがやっとでした。
大丈夫。
ひとりではない。
本当に困ったら、助けてくれる韓国人が必ずいる。
(今、思えば、そのとき、自分のパスポートや、日本大使館のことなど、頭の片隅にも想い出しませんでした。)
眼鏡屋を探し、ゆがんだ眼鏡の修理をして、消毒液つきバンドエイドを買いました。
眼鏡は無料で修理してくれたあげく、その店のひとが薬局につれていってくれました。
薬局のおじさんはバンドエイドを貼るところまでしてくれました。
もちろん、韓国で、いいことばかりではなかったのです。
だんだん慣れてくると毒舌がでてくるので
たとえば、地下鉄を降りようとすると、だだっと我先にと乗ってくる人たちに
「降りんのが先やろが、こら!」
と大阪弁で怒鳴るようにもなり、これで対等になってきたようでもあり、
そろそろ帰ったほうがいいかも?(^_^;とも思いました。
それもぜんぶ含めて言うのですが、
僕が通る間、
ちょっとドアを押さえておいてくれた手まで含めると、
無数の見知らぬ手が、僕を助けてくれました。
段の上にあげてくれたり、降ろしてくれたりしました。
老若男女、無数の手です。
数え切れないです。
だから、中間まとめとして、ひとつだけ言います。
ヘイトスピーチはやめましょう。
法律ができたからとか、カウンターがいるからではなく、
そのような無益で愚かな争いはやめましょう。
私たちは同じ東アジアの民です。
日本は過去に植民地支配という大罪を犯しました。
その後も、国家権力や、東西の大国に翻弄された歴史もありました。
でも私たちは同じような笑顔と同じような泣き顔をもった東アジアの民です。
私たちは本来、助け合うべきもの同士です。
私を助けてくれてありがとう。
私の仕事は書くことなので、このことを日本語で伝えます。
私は韓国人の無数の手で助けられました。
隣の国やその国の人を悪く言うのはやめましょう。
新しい、友好的な東アジアの時代をともにつくっていきましょう。

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