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母の歯 (超短編小説)

 還暦を迎えた私の口の中は歯周病でいつも腐臭を放っている。口が臭いと言って嫌われ、もう二十年ほど女性というものとキスしていない。
 疲れがたまると歯茎のどこかが著しく腫れてくる。触るとぶよぶよしている。いよいよ歯医者に行かなくてはならないか。そう思いつつも、人から聞いたとおりに食用重曹を患部に塗りたくる。
 二、三日それを続けると腫れは引いてしまう。結局、歯医者に行くのは億劫なままに捨て置き、口は腐臭を放ち、朝起きると時々枕に血の混じった涎がついている。
 

 私の母は三年前に八十三歳で亡くなった。
 十年以上前からひどい痴呆症になった。時々、電話をかけてくると私のことや私の息子のこと、娘のこと、離婚した妻のことなど、質問するので、全部答えてやる。
 ところが、十分もしないうちにまた電話がかかってくる。
 「えらい、久しぶりやなあ。たまには電話してこんかいな。どないしてんのん?」と、ついさっきの電話とまったく同じ台詞を言う。
 質問の順番も中身も口調も台本を読むように同じなのである。
「それ、さっき聞いたやろ」と言っても無視して、質問は続く。答えてやるしかない。
 答えているうちに、その反復の完全な正確さが空恐ろしくなってくる。こんなにも完璧に同じ台詞を再現するにはとても高い記憶力や言語能力が必要だ。
 それが母にはある。
 だが、その話を十分前にもしたという、その事実だけが記憶から抜け落ちている。それなのに、話す内容は一字一句たがわず、まるで同じなのはどういうことだろう。
 私をたぶらかしているのか。
 いや、不思議だがこれが母の現実の姿なのだ。

 そんな母も脳溢血を起こして入院してからは、言葉がもどかしくなった。
 見舞いに行くたび、できるだけ母の脳を働かせようと、今度はこっちが話しかけた。
 「おかあさん、犬のこと、英語でなんて言うの?」
 母は不安そうにベッドの上で目を泳がせる。そして「ドッグ」カタカナ英語で言った。まだ覚えている。
 「猫は?」
 今度は目を泳がせる時間がもっと長かった。挙句の果てに
 「ニャンコ」と言った。
 失笑した。

「それよりここへ来て」と母は動く方の左手で自分の胸を軽く叩いた。
「えっ?」
「もう、おっぱいあげるの、最後やから」
自分が母であることは知っている。そしてその自分の命が吹き消えようとしている事態も把握している。
 私は病院の浴衣の上から胸に頬を寄せた。いくらなんでも乳首を吸うわけにもいかない。
 母は左手で私の頭をかき抱いていた。

 そんな母のご自慢はすべて自分の歯のまま揃っていて、きれいに輝いている歯並びだった。一本の虫歯もなかった。
 「ほら、見て」
 というと、にっと笑った。唇の間に乱れなく勢ぞろいしているすべての歯。

 やがて母の容態は少しずつ悪くなり、見舞いに行っても、あらぬ方角に視線をやったまま「助けて」というだけになった。
 この場合、助けるとはどうすることなのか。親鸞の研究ではいくつもの論文を発表してきたはずの私だが、まったくわからなかった。
 手を握ったり、背中をさすったりしながら「大丈夫」と言ったが、何故か阿弥陀仏の名を借りて保証することはしたくなかった。
 「大丈夫」
 私が何度言っても、母は「助けて」と言って、手を宙に浮かせ、何かをつかもうとするだけだった。私はその手をまた握り「大丈夫」というだけだった。

 最後には「助けて」という言葉も発することができなくなった。私が行くと、ベッドサイドの私をじっと見ている。
 自分の息子だとわかっているのかどうかもわからない。ただじっと見ている。
 「帰るわな」と言っても何も言わずに見送っていた。これが最後かもしれないと何度も思った。
 何度目かに、危篤の知らせがあり、駆け付けると、心臓モニターは水平な線のまま動いていなかった。
 主治医がやってきて、儀式のように瞳をライトで覗きこみ、瞳孔が最大に開いているのを確認した。腕時計を覗き込むと時刻を読みあげて「ご臨終です」と言った。

誰もいなくなった病室で僕はもう一度だけ、母の唇をめくって歯並びを確認してみた。
 すべて完璧に生えそろった綺麗な歯だった。換えてもらえるものなら、自分の歯と総入れ替えしてほしいような歯だ。
 だが、その二日後、市の焼却炉ですべて燃やしてしまった。喪主の私の宗教的信念から、0葬にしたので、骨は一切拾わなかった。
 あの綺麗な歯も全部、灰となって、産業廃棄物として捨てられた。私の「さようなら」は届いただろうか。
 最後まで私は阿弥陀仏の名前だけは口にしなかった。



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