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東アジア性道徳論


韓国語勉強中なので、教科書に書いてないことを韓国人に聞いた。
日本ではオーガズムのときイクという。
英語圏ではCOMEという。
韓国では女性はオーガズムのときなんていうの?
応えは「あまり何も言わない場合が多いと思う」だった。
「なんで?」
「たぶん男が女性に求めているものが貞淑であることだから、あまり乱れたり声をあげたりしないようにしている人が多い」ということだった。
まあ、40-50年ぐらい前の日本にもその傾向はあったな。
そしてそれだけではなく、オーガズム自体を知らない女性すら多いと言われていた。
いずれにしろ女性に対する性抑圧が強かったのだ。
しかし、江戸時代とかましてや平安とか奈良時代まで遡るとまた違うかもしれないが。
思想的にはこれは儒教道徳の影響と一応くくることができるのではないか。
儒教というのは困ったもので、女性に貞淑を求めるくせに、それとは裏腹に(というかセットとして)、売春は許容するのだ。
そこには女性をスクエアとビッチに二分する差別が歴然と存在する。
フェミニズム的にはどっから見ても最悪だといえよう。
40-50年ぐらい前の日本もそうだった気がするが、韓国はもっと最近までそうだったといえよう。
たとえば、40-50年ぐらい前に比べると、今の日本では、結婚のとき、女性に処女であることを求める人など、皆無に近くなったのではないか。
元風俗嬢ですと言った場合の抵抗感は一部(上流?)社会では残存しているとは思うが。
まあ、病気の検査は誰でもあっても、男女ともにした方がいいと僕は思う。
このへんのリアルな要素に関しては、僕はわりとシビアなのである。(^_^;

さて、僕は生野区の朝鮮学校の見学に行ったとき「なぜ女の先生はチマチョゴリ。男の先生は背広にネクタイなのか」と質問した。
男性の校長は「考えたことがなかった」と応えた。
この考えたことすらないという現象の中には、無意識の固定観念が詰まっている場合が多い。
僕の推測では、これも儒教道徳のゆえに、女性は伝統的衣装を守る傾向が強いのではないかと思った。
もちろん、売春婦なら話は別である。
学校の先生だからこそである。
その意味では背広にネクタイも少し緩和された堅さであり、一時の日本では(大阪だけか?)別にジーンズにTシャツでもよかったのに比べると、儒教道徳的だと言えるであろう。
(今はジーンズにTシャツの先生は差別される傾向があるように思う。)

また僕はJRで車椅子のスロープなどの世話をしてくれる女性職員に「なぜ全員、同じ髪型なのか」と聞いたことがあるが、「この髪型に定められている」という応えだった。
JRって女性職員の髪型を規制しているのだ。
後ろに丸くこんもり束ねたその髪型は、性的な要素を、意識的に抑圧しているように見える。
驚きの、儒教の生き残りである。
ほかにもっと大事なことはありそうなものだが。
昔の中学生の丸坊主、イスラームの女性のブルカのようなもので、これに反対して改革しようという機運が労働組合内にないのは、僕のような人間から見ると驚きである。

話戻って、現在のK-POPにおいて、僕が意識的な思想で道を切り開いた人として、一目おいているのは、이효리(イ・ヒョリ)だ。
今でこそ、セクシーな衣装で歌い踊る女性K-POPシンガーは当たり前のこととなったが、儒教道徳を打ち破って、それを表舞台の女性のファッションとして、解放したことには、이효리の功績が大きいと思う。
それは初めて彼女のプロモーションビデオを見たその瞬間にそのビデオが終るまでの数分間ですべて僕に顕かになったことである。
が、傍証として今試みにWIKIを見てみたら、こうあった。

イ・ヒョリが変えた韓国芸能界
イ・ヒョリの功績はそのセクシーなダンスとエキゾチックな容貌、媚びない言動で、これまでの「黒髪・清楚」といった韓国芸能界における定型スタイルを大きく覆したことだと言われている。一方、黄色い髪が商品イメージを落とすと批難されることもある。
ラジオやテレビ番組で、これまでに交際した男性の数をあけっぴろげにカミングアウトしてみたり、ギリギリとも言えるセクシーな衣装で踊るプロモーション・ビデオやCMには賛否両論の声が巻き起こった。しかし彼女の存在がセックスシンボルとして、あるいはファッションリーダーとして、男女を問わず韓国中の若者を虜にしたことは、「イ・ヒョリ シンドローム(症候群)」という言葉とともに確かなことである。イ・ヒョリの言動やパフォーマンスには今でも賛否が分かれるが、儒教観念が今でも強いといわれがちな韓国において、「主張する女性」として果たした役割は大きいとされる。(引用終わり)

たとえば、미스코리아 の1分59分に家族と一緒にいる女性として、飛び抜けてビューティフルな이효리が映ったあと、2分3秒で、伝統的な衣装に身をつつんだ老男性と、이효리がいる場面に切り替わる。
この5秒間の映像の進行は、儒教道徳から、主張する女性が堂々と抜けていくプロセスだと思う。
朝鮮学校では女性の先生がチマチョゴリ、男性が背広にネクタイだったこととの対比は、大変示唆的だと思う。
ここでは逆に이효리が西洋衣装。
老男性という儒教道徳の権化みたいな存在だけが、伝統衣装に取り残されているのだ。
それ以降、이효리の両脇侍は、女性の場面とニューハーフの場面が混ざるようになる。進化である。
さらに4分10秒で、이효리がニューハーフの両脇侍にはさまれているカラー場面で、このプロモーションビデオは終る。そのつくりは、思想的に相当意識的だと思う。
これでだいたい미스코리아(Miss Korea)は、 世界標準に追いついているのだ。

今の女性K-POPシンガーには、優れたアーチストも多いが、たとえばKARAでさえ、こうやって이효리が切り開いた世界の掌で、バッタモンというか、イミテーションというか、そういうショーをして見せただけだったと思う。バッタモンが進化したら、バッタモンのバッタモンが現れるので、それはついにたとえばBambinoのような洗練された形まで至るのだが、Bambinoにコピーされている側も、実は初めからバッタモンなのである。


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