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ウポポイ雑感~一万年祭のあとで~

国立民族共生施設を謳うウポポイについてはいろいろ毀誉褒貶がある。
僕は実際に見学するまでは発言しないことにしていた。
平取のアイヌモシリ一万祭に参加したあと、もう少し北海道を回る予定だった。
以前から行きたかった知床などにも行った。
古いヒッピー(部族)であるというヒロさんの車で連れていってもらった。
彼が部族であることは、助手席で話しながらわかったことで、出会いは偶然だった。
知床の自然の気に包まれてで感じたこと、生まれて初めて日本から外国(国後)を遠望しての感慨、遊歩道で車椅子で簡単にアクセスできる知床五胡。
書くことはないことはないが、世界中について普通の観光案内をするつもりはあまりない。
話をウポポイに飛ばそう。
白老にはウポポイができる前の野外博物館時代に行ったことがあった。
同じなのは湖だけで、いろいろなものが一旦破壊され、お金をかけて新しい施設を作ったという印象だった。
こぎれいなホールで観たショーは、伝統の「ショービジネス化」を象徴しているような気がした。
そこらへんより、演者のレベルは高いが、きつくいえばショービジネスのために魂を売ったような感じを受けないでもなかった。
実際こんな話を聞いた。
平取のアイヌモシリ一万年祭のムックリ大会は子どもが優勝したが、ムックリの本物の名手が奏でる倍音は、神技だと思う。
そういう人は一万年祭に来てなかったのか?と誰かに聞いたときだ。
「来てたよ。だけど、ウポポイと専属契約しているから、出られないんだ。殆ど誰もマスクをしていない一万年祭でずっとマスクをしていたよ」
資本に囲われた?
ウポポイの本質の一端を見た気がした。
また、その昔、征服された隼人の民が、隼人の盾を持って天皇に奉納させられた「土人の踊り」などを連想した。(拙著『魂の螺旋ダンス』参照)

踊ることは人生最大の幸福のひとつだが、踊らされることは最大の屈辱のひとつだ。
愛のあるセックスとレイプほどの差がある。

しかし、都市の書店でアイヌコーナーなどを見ると、そのウポポイですら、反日施設だとして非難している嫌韓・嫌中本ならぬ嫌アイヌ本がある。
それが日本の現実だ。
さて、ウポポイを見学した印象だが、

(1)日本のアイヌ侵略の歴史の不当性、残虐性などは、しっかり紹介してない。
(2)アイヌ文化を紹介し、それを賛美することは、それなりにしている。

この二点の組み合わせに想いを馳せるとき、普通、それを宥和政策という。
共生と宥和は言葉の意味に方向性の違いがある。
ここは民族共生のための施設だろうか。
僕には民族宥和のための施設に感じられた。
そしてそれはもしかするとベストセラー化している漫画「ゴールデンカムイ」の性質に似ているのかもしれない。(この漫画はまだ読んでいる途中なので、いったん保留)

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さて、そんなことを想いながら、ウポポイの裏手の丘の上の、慰霊施設にも行ってみた。
海の見えるこぎれいなその共同墓地には盗掘された各地のアイヌの遺骨が「返還」され、慰霊されていることになっている。
あくまでも盗掘したものは、その部族の土葬地に返還してこそ、返還の名にふさわしい。これはごまかしだという論は、一時、論壇を騒がせた。
(その影響か、初めからかは知らないが、施設には各部族に準備が整い返還するまでの一時的な慰霊施設だと書いてあった。しかし、僕には平取町上貫気別の土葬地に準備が整ってないとは思えなかった。)

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アイヌモシリ一万年祭の最終日、私は平取町上貫気別の土葬地でのカムイノミに参加したのだ。

あのカムイノミの最中、たくさんの蝶や蛾が、土葬地の森林から飛んできて、私たちの周囲を舞ったことを私は思い出した。
蝶や蛾は世界各地で死者の魂の蘇りのシンボルと考えられているものだ。

霊的考察などというものにそもそも重きを置いてない私であるが、それでも、その蝶や蛾がウポポイ裏の慰霊施設には一匹もいなかったという事実だけは記しておきたい気がする。
また写真に撮影した、慰霊施設の塔のようなものは、知らない人から見るとトーテムポールを連想させる高さだが、形を見るとイクパスイを模しているように見える。
カムイノミなどの際、カムイと人間を取り持つためのお酒をイナウなどにかけるのに使う手の中に入る大きさの聖具だ。
それを巨大化して地面にぶっさすというのは、奇妙なオブジェのように思えたがアイヌが見たら、どう感じるものなのだろうか。



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