普天間よ レビュー

古い原稿が出てきました

小説『普天間よ』大城立裕 レビュー(あび=長澤靖浩)

エッセンス
普天間で踊るというということは、強大な力に圧倒されながらも、このように寸分の狂いもなく、踊り続けることなのだという覚醒は、この小説の書かれた意味を支えている。

小説が沖縄に対して何をできるのかについて多くの示唆があった。だが、前半余計なことを僕が書いたため、このレビューを読まなかった人も多いと思うのでレビュー部分のみ再掲する。

(以下再掲)

 大城立裕の1967年の、沖縄初の芥川賞受賞作「カクテルパーティ」は前に読もうとして、おもしろくなくて、挫折した。今回の「普天間よ」は最新の短編集で2011年発行となっている。
 沖縄戦のまっただ中を逃げ惑う人々を描いたもの、現在と沖縄戦の只中とを交錯させながら書かれたもの。いろいろな短編が載っていたが、最後の「普天間よ」が小説として最も成功しているように思った。
 この小説の舞台は、沖縄国際大学に米軍ヘリが落ちた2004年を6年前としているから、2010年の沖縄だ。
 歴史を描くのではなく、あくまでも小説として構成されているにもかかわらず、55年の6歳児暴行殺害事件、95年の小学生暴行事件、辺野古のボーリング調査開始とその阻止運動なども、小説の展開の中に無理なくエポックとして描き込んでいる書き方は巧みだと思った。この作家もそろそろ自分の人生の仕事のまとめに入っている。
 主人公の「私」は琉球舞踊で若くして新人賞をとりながら、次に優秀賞に到達することができず、悩みあぐねている女性でそれが自分にとって大事だと思いつつも、周囲の大人たちの思いを受け止め、共感したり、反発したりしながら、共に生きている。
 祖母が五代前の先祖が首里の地頭の家に奉公したときにもらった鼈甲の櫛を、沖縄戦の只中で拝所に隠した。それは今は普天間基地の中だが、どうしてもそれを取りに行きたいと市役所に何度も許可願いを出すが、承認できる理由にあてはまらないので何度も断られる。
 「私」はユタを呼んで、その問題を解決しようとする。ユタはとどのつまり「それは永遠にそこにあるから安心していい」と伝えるが、祖母はそれにいたく納得する。
 父は基地返還闘争に力をそそぐ日々である。が、今まで祖母が普天間基地に入る理由に反対していたのを急にまげて、市役所の知り合いに話をつける。祖母はその場所と思しき場所に行き、結局、櫛は発見しないのだが、祖母は落ち込まない。背景には常に米軍機の爆音がある。だが、それへの「勝ち方」が世代によって、また個によって、異なる様子が描かれていると思った。
 その他それぞれの人物の「勝ち方」については省くが、「私」はラストシーンで琉球舞踊の大会に向けて、練習の追い込みに入っている。しかし、その練習中、すぐ上空で米軍のヘリコプターが旋回しつづけ、何分間にも渡って、音楽が聞こえない。「私」は自分の心で歌いながら、踊り続ける。そして、爆音が去り、音楽が戻ったとき、寸分の違いもなく踊り続けていた自分を知り、誇りに思う。
 このラストシーンはとてもシンボリックだ。普天間で踊るというということは、強大な力に圧倒されながらも、このように寸分の狂いもなく、踊り続けることなのだという覚醒は、この小説の書かれた意味を支えている。
 社会的な勝利が描かれているわけではないのだが、そのような個々の営みの集積の上に、社会的な勝利をも予感させるのが、小説の精一杯の仕事なのかもしれないと思った。大城立裕は小説家としてこれを書くことで、米軍と闘ったのだと思った。
 だが、僕の中では、これはアーチストとして立派な仕事だという思いと、このような作品を完成された文藝作品として成立させることは、ひとつの内面的慰めのようなものに過ぎないという思いがせめぎ合う。
 そして、それにしても、解せないのは、WIKIによると、大城が紫綬褒章を受けていること。そういえば、全編通して、ヤマトとの闘いが見えてこない気がした。

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