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この世に投げ返されて (19) ~臨死体験と生きていることの奇跡~

(19)
 
    病院の苦情係に私は、事の成り行きを説明しました。苦情係は話を聞くと、神経内科に足を運んでいきました。ところが、診察中だから話せないと言われてすぐに戻ってきました。
「こちらは診察室を追い出されただけで、出口が見えずに話を切られているのだから、まだ私の診察が終わってないのですよ、実際」と説明しました。
   それでまた苦情係は神経内科に行ったのですが、出せないものは出せないという話ですと言いに戻ってきました。
「入院していた元の総合病院の指示に従って、日常の投薬をするのは、地元の病院の医療上の義務ですよ。その義務をこの病院が果たさないなら、院長を呼んでください。神経内科を指導してもらうように要請します」と私は言いました。
   このように、それならばこういう筋道になると自分で闘える障碍者が世の中にどれくらいいるでしょうか。いや、障碍者でなくても、一般の患者でも、あるいは付き添いの福祉関係者でも、どこまでも筋を追って闘い続けるのは難しいかもしれません。
    いや、そもそも、このように闘わなければ、医療も福祉も受けられないのがおかしいのです。むしろどうすれば一番いいのか、知識を駆使して相談に乗ってくれる人が寄り添ってくれるぐらいがまともだと思いませんか?
苦情係はまたどこかへ消えていきました。私は病院内の権力関係について考えながら待っていました。昔読んだ『白い巨塔』という山崎豊子の小説によると、外科が権力を持っている様子が描写してあったような気がしました。
しかし、どちらにしろ、院長は自分の病院が医療義務を果たさないことを見過ごせないはずです。
   もし、それがうまくいかなかったら、今度は議員でしょう。しかし、病院は市会議員を恐れません。組織のヒエラルキーから見て、財政上無関係だからです。国会議員、厚生労働省に言うしかないと思いました。
   それにしても、薬を処方してもらうだけで、障碍者でもある患者が何故そこまで考えなければならないのでしょうか?
   苦情係が得意顔で戻って来ました。
「解決しました。循環器内科が処方します」
これで私の苦情はすべて終結すると思っていたのかもしれません。私は言いました。
「それは解決ではないですよ。急場しのぎです。そもそも循環器内科が次回から神経内科に行けと言ったのですよ。病院内の連携がうまくいってないのです。あなた方の病院の体制の問題は解決してません。私にとっての命の問題はいったん、しのぐことはできましたが」
「府立病院の専門医の処方箋を持って、次回から、神経内科を受診してください」
「ここが一番近いからそうしたいところですが、僕は病院を変えるかもしれません。あの医者に会うのはもう嫌ですからね。とにかく今日起こった問題は病院内でよく話し合って、地域住民にまともな医療を提供できるように組織を改善してくださいよ」
「親切に」相手の問題を最後まで詰めるのは、なにしろ高次脳機能障碍の特色らしいのです。そう思うと、実は「くすっ」と笑ってしまう自分も実は存在するのです。
   こうして私は循環器内科の処方箋を得て、外部の薬局で薬を購入しました。
 
   そして、一ヵ月後に府立の医療センターの高次脳機能障碍の専門医を訪れました。この日は友人が自家用車に乗せて連れていってくれました。
W医師は、それまでの経過を表情一つ変えずに聴いて、すべて理解しました。まるで、よくあることだとでもいうように。
処方箋を書き、「今日はうちで出す。次回からこれに基づいての病院で出してもらうように。そうすることは地域の病院の義務ですから」と言いました。
   言っていることがまともです。
「デパケンRの血中濃度は調べないのですか? あれは血中濃度を一定に保つことができているか、モニターすることが大事ですよね」と私は言いました。
   このようにこちらが自分で調べたことを言うのを、医者は嫌い、突然居丈高になることがあります。
しかし、W医師は、高次脳機能障碍の患者との付き合いに長けており、人気もある人だったらしいです。
「調べたいですか。実際に効いているかどうかの実感が大事なんですけどね」
   データよりも実感が大事だという意見を医者から聞くのは初めてでした。元の総合病院でも、時々、血中濃度はモニターしていました。
「指示された量を飲んでいる限り、車椅子や手すりがあれば、そして外出の際は介助者がいれば、日常生活を送ることができます」
「なら、それでいいですよ。血中濃度を調べたいという要望があれば調べますが」
「いいえ。僕は腕からとった血液の成分の何がどれだけ脳血流関門を通るのか疑問に思っているので、もともと自分では希望していません」
こういうことを自分で言う患者を、おそらく地元病院の神経内科医は毛嫌いしているのです。
「はい、効いていればいいです」
「それで、少しずつ減薬しながら、身体をリハビリしていきたいのですが」
「それは大事です」
「この認識であってますか。ランドセンは頓服として30分ほどで効いてくるので、調子が悪いときに必要量飲むようにしながら、試し試し減らしていっていい。デパケンRは、血中濃度を保つことが重要なので、毎日の使用量を体が気づかないほど、少しずつ少しずつ減らして試してみる」
「それで合ってます。生活の質が大事です。どちらの薬も、何もしていないときに、座っていても勝手に体が痙攣してくるほどには減らさないでください。自分が今実際にしているライフスタイルが保てるなら、試し試し減らしてみて、次回に報告してください」
 彼は医師にしては珍しく普通の人間の会話が通じると私は思いました。
「ところで、あなたの脳はどこがどのくらい破壊されてしまったのか、画像診断では殆どわかりません」
  彼は言い出しました。
「どの病院でもそう言われています。心肺停止時間の長さから見て、奇跡的であると」
「はい。それで、知能テストと心理テストをしてみてはどうかなと」
「なるほど。画像でわからない脳の状態を調べるんですね」
「はい。一度、徹底的に調べるのが望ましい。テストは三日間かかります」
「三日? 入院できますか」
「このテストのための入院はできません。通ってください」
「あのう、介護保険の要支援認定を得たばっかりに、私は障碍福祉支援を得られない状態です。その支援時間では、一ヵ月の全部の権利を使っても、支援者にこの病院に一度だけ連れてきてもらえるだけです。それも、帰る途中で、支援時間が終わります。一度だけ、しかも途中で終わりですよ!」
「あなたの障碍の様子では、若いのに介護保険を使ってはいけません。むしろ必要なサービスが受けられなくなりますよ。障碍福祉支援を使わないと」
「知らなかったんです。医者の勧めるままにしたんです。しかも市役所は介護保険の要支援は返納できないと言うんですよ」
「では、今日のように友人の方に連れてきてもらうか、タクシーで来るしかないですね」
「そうですか・・・」
 
   まだ50代である私の友人たちには仕事もあり、忙しい人ばかりです。勤め先の学校の同僚も皆、平日は仕事で、私だけが病気休暇を取っているという状態です。
   では、タクシーで3日間通う? しかし、自宅からタクシーに乗って往復するぐらいなら、病院近くのビジネスホテルの宿泊代が出ます。
   私は一日目にタクシーで病院まで来て、ホテルに二泊し、三日目にタクシーで帰ることにしました。
   これも福祉や医療の穴に落ちています。
   このような代金を自分で支払うことができない人もいると思うのです。

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